直系長子継承を支持する人の声を聞こう!

ブログ主である私はまったく皇統のゆくえに興味がなく、「別に現状維持でいいんじゃねぇの」という保守的な考え方をしています。
別に保守的といっても「男系継承こそ伝統であり、それを保ち守ることが国をやすらかにする」とかなんとか思っているわけではありません。
何かのキッカケで天皇の直系の血筋こそを優先すべきだということになって敬宮内親王が皇位継承者になっても別に構わないと思っていますし、正直どうでもいいって感じです。
やたら皇統の行く末に関心のある連中からしたら私などは不敬な国賊、不埒な非国民といったところでしょう。
しかしそんな私でもゴー宣道場による男系派への誹謗中傷には呆れてしまいます。
彼らはまともに議論する知性がないから、ひたすら罵詈雑言を喚くことしか出来ないのですが、そんなことをしていたら、いわゆる直系優先派(女系容認派)の印象を悪くするだけだということすら分からないのです。

男系固執派は直系継承を妨害し、反天皇の統一協会と同じ考えで、皇統断絶をしようとしています。安定的皇位継承実現のために、男系派をガンガン論破しましょう。

いやいや、「直系継承を妨害」って、現状は男系継承で決まっており、むしろそれを妨害しているのがゴー宣道場側でしょう。
これは男系派にも言えることですが、「我らこそは官軍である」というノリで錦の御旗を立て、反対論者には「朝敵」のレッテル貼りをして、「奴らの目的は皇統断絶である」などとほとんど陰謀論の域に達しているような飛躍した言いがかりをつけています。
男系派も女系派も「僕の考えた最高の皇位継承」を語っている時点で同類であり、皇統マニアであることは間違いありません。決して天皇マニアでもなければ皇室マニアでもなく、皇統マニアというところがミソ。

憲法違反がわからず、直系継承を妨害する男系派はガンガン論破しましょう!

ゴー宣道場の公論戦士たちは「直系の血筋」に異様なこだわりを見せていますが、ハタから見たらいわゆる男系派が「男系の血筋」にこだわっているのとほとんど違いはありません。
イボの理屈でいえば、上皇陛下も直系ではなく、本来ならば正統直系である東久邇テル子の長子ノブヒコ王が第125代を継ぐべきだったという話になり、ならば簒奪された皇位を本来あるべきところに戻すべきであるという胸踊る展開を期待してもよろしいか?
まるで鎌倉時代以前に戻るようで、オラわくわくすっぞ!

と、皇室を特に敬愛するでもなく、皇統に関心がない私がそのことをネタにしてもこのような悪ふざけでしかない無内容な冷やかしを書いてしまうので、それだけではいけないとの思いからしっかりとした意見を紹介しようとコメント欄に寄せられた意見を取り上げるわけです。
そうするとshinkimuさんの男系論で他を圧倒してしまい、まるで私があたかも男系論を支持しているかのようになってしまいます。
しかし、それは仕方がないことで、小林よしのり含め公論戦士たちはキム兄ィとの議論を避け、見ないフリしつつ、クローズドなグループLINEでshinkimuさんの陰口を叩くことしかしていないのです。
ゴー宣道場は遁走道場であるとはよく言ったものです。

しかし、やはり私のブログはどちらかの意見に偏らずにバランスを取りたいと思いますので、直系優先を支持している葉月蓮さんが以前に皇室についてツイートしていたので、それを幾つか見繕って転載したいと思います。

こんな時代に血統とか純血とか血脈とかにこだわってる奴を見るとイカレテルと思う

貴殿(小林よしのり)が弥栄を願い、安定した継承を確立させようとしている「皇統」は「血統」によってその正当性、権威が認められる制度になってるはずだけど。
小林のうかつさがモロに出てるブログ。

これを支持者的解釈すると、「男系が拘る血統は、親等が離れすぎていて正当性が疑わしい、Y染色体などイミがないと言っているのだ!」ってとこかしら。

「このブログだけで皇統の血統(上皇→今上→敬宮)を批判していると解釈するのはバカだ、これまでのわしの主張を見ていれば、そんな意図ではないことは分かるはずだ」ってまでがセットかな。
「国語力がない!」ってね。
それが通用すると思うあたりが、裸の王様の証明なんだけど。
女性天皇、女性宮家の実現に躍起になるあまり、持論の綻びが夥しい。
挙げたらいくつも出てくるが、ひとつだけ指摘すると、「今の典範のままでは、いずれ皇族は悠仁殿下1人になる。そこに男子を産まなければならないという重圧を承知で結婚する女性はいるか?」と、女性の皇位、宮家の継承を可能にするよう論を展開しているが、どちらにしても皇族に「子孫を残せ」という重圧は残ってしまう。
間接的に、女性に「産む機械たれ」と言うに等しい論になるのは継承が血統に頼るほかない以上、避けられない点に気付いているのだろうか?》(葉月蓮さん)

《私自身、門弟だった頃と意見が変わったところや、知識が増えて見方が変わったこともある。
門弟になったばかりの頃、男性脳女性脳なんて話をした覚えがあるが、その説の根拠とされる実験そのものが現在では否定され、脳に男女差はないというのが通説だと訂正出来なかったこともある。
小林よしのりを批判って文脈になると、すわ「アンチガー!!」反応になる支持者には理解出来ないかもしれないけど、例えば私は敬宮愛子内親王殿下が皇太子になって頂きたいと思っている。
でもそれは敬宮殿下が優秀だからとか女性活躍のシンボルになるからとかじゃない。
制度として、天皇の継承を考えて直系長子優先が一番ふさわしいと思うから。
性別はもちろん、個人の能力や資質などに言及してしまう危険性を小林も訴えていたのではないか?
「~であってほしい」という国民感情で制度を語るなら、男系固執派の「Y染色体の継承であってほしい」と変わらないだろ。
私だって個人的には「今上皇后両陛下大好き! 生きてるうちに愛子さまの立太子式が見たい!」と思ってるけど、そんな個人感情と制度設計をごっちゃに語るのはダメ、くらいの認識はありますよ。》(葉月蓮さん)
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男系男子継承は、側室ありき(産む機械の複数調達)によって、かろうじて実現()した制度である以上、現在には通用しません。
ご皇室の持つ様々な伝統のなかで、男系が優先して守られるべき伝統かどうか?
制度設計として、長子優先継承より優れたものがあるならご教授頂きたいくらいです。
そもそも男系派の仰る「伝統」(男尊女卑を基盤とした男系男子継承)を守ることに、全く価値を感じておりませんので。
男系派は過去の天皇について出自で評価するのでしょうか?

天皇皇后両陛下、敬宮殿下を見ていて敬慕の「感情」を抱くことと、男系男子継承に拘る制度に疑問を持つことは両立します。
未来において、今上陛下の女系子孫と昭和天皇の女系子孫の優劣が比べられる可能性を憂慮することは現在において、天智天皇の子孫と天武天皇の子孫、あるいは北朝南朝どちらの子孫がよかったか? と議論することと同じではないですか?
それは不遜ではないのですか?
また、「男系男子限定の継承」の基盤が男尊女卑でなければなんでしょう?
小林のシナ系うんぬんは過去に読みましたが、大陸からの思想影響に責任を転嫁しても、日本の男尊女卑が否定されるわけではありません。
男系派とのここまでのやりとりで、私の「直系長子優先継承」支持は全くゆらぎません。》(葉月蓮さん)



歴史的に男尊女卑による継承が良しとされてきた事実を踏まえて申し上げています。
「伝統」とは、時代時代の価値観と寄り添いながら受け継がれていくものであり、それが出来ないものは淘汰されるか、ただの因習として残るのみです。
現在、男尊女卑の価値観は不要であり、無くしていくべきものです。
過去の天皇を否定するものではないことはお断りするまでもないと思っておりましたが。

現在において、皇統継承における懸念や問題点をなるべく少なくする制度として、直系長子優先継承を支持しております。
今上陛下の長子が敬宮殿下、すなわち女性であることから、継承権が無いという典範規制は改善すべきです。》(葉月蓮さん)

直系長子派である葉月蓮さんのご意見に対して、異論や反論、批判や疑問がある方はお気軽にコメントください。
無論、この一連のツイートは数年前のものですから葉月蓮自身も考え方が変わっていたり、補足したいことがあるかもしれませんので、葉月蓮さんも気分次第でいつでもお気軽にコメントしてください。
勿論、小林よしのりがブログでエアリプしても良いですし、公論戦士からの「論破」もお待ちしています。
男系派女系派問わず誰でもウェルカムです。

この記事へのコメント

葉月蓮
2023年03月23日 01:47
私のツイートを取り上げてくださってありがとうございます。
イボりん先生の性暴力の件については、事実を語ることしか出来ませんので特にここで追加することはないのですが、皇室については紹介されたツイートの頃から気持ちが変化した部分もありますので、今現在の考えをこちらに述べさせて頂きます。
ちなみに、私は皇室について専門的に勉強したわけではなく浅学で、知識として不十分であることを自覚しております。

ツイート当時は「皇室を継続するためには男女関係なく天皇の長子継承が一番」というのが私の考えでした。
理由はいくつもありますが、煩雑になるのでここでは省きます。
ですので、結果として敬宮愛子内親王の立太子を可能にする必要がある、という考えです。
この頃は「皇室継続のため」の制度設計とは何かを前面に考えていましたが、今は皇室を継続させる必要はないという考えが前面にあります。

大昔に政治的能力を持った家系が一国の社会を形作った歴史という意味で、皇室は否定されるものではありませんが、その子孫が同じ立場を担う役割はもう終わっています。
特定の家系にのみ許される権力や身分があるということは差別の根源ですし、翻って現在の皇室の方々の状況は人権を考えると許されないものがあります。
したがって差別、人権の観点から言えば皇室は無くすべきもの、となります。

皇室の継続が必要という場合、いわゆる日本神話を聖書と同じような扱いで日本社会で共有する必要があると思われます。
日本神話が日本の歴史だとして天皇の正統性を担保してしまっているからです。
そして、男系継承の歴史的事実を尊重し、そこに天皇擁立の正統性を見るのであれば、男系継承にあらずば天皇にあらずということになります。

現在の日本で、日本神話の信仰を共有することは信教の自由からも不可能ですし、男子の出産を強制することになる男系継承は人権以前の問題として不可能でしょう。
それでも皇室を継続させなければならない絶対的な理由があるのだとしたらどういうものでしょう?。

日本人の皇室への敬愛感情が特別なものだというのは、自分の気持ちを振り返っても理解できます。(もちろん、日本人の全てが持っているとは言いません。)
しかしそれは諸刃の剣で、敬愛感情はその対象が、その感情にふさわしいふるまいをしてくれている間には強固ですが、そのために「天皇ならば」「皇族ならば」こうあってくれという要望を生じます。
現代においては、その要望のほとんどが人権を無視しなければ通らないにも関わらず、です。
にも関わらず、天皇、皇族の方々が自らの立場を温存したうえで自由を謳歌すれば特権と言われます。
あまり良い関係性とは思えません。

今の私は、記紀の物語を歴史としても信仰としても国民で共有する事は難しく、不自然な結婚や出産に抵抗感の強い現在においては、現行の皇室典範を遵守したままでは、遠からず皇室は途絶えてしまうだろうという見解に同意しており、さほど抵抗を感じません。
いずれなくなる皇室ならば、それが一番問題ない方法ではないかとすら思っています。
廃止という方法をとるには、かなり慎重な対策と、それなりの期間が必要になると思いますし、今後、皇室と国民双方に納得のいく継続のための方法論が起これば、それはそれでよいのではないかとも思うのです。
ことなかれ主義と嗤われるかもしれませんが、センシティブな領域に踏み込まざるを得ない問題を声高に議論すること自体が、制度の限界を示しているのではないかと思うのも正直なところです。

蛇足ながら、イボりんはじめ道場界隈が行っている敬宮殿下推し運動は、素朴に「次の天皇は愛子さまじゃないの?」と思っている国民の足を引っ張るどころか害になっていると断言します。
旧宮家プランは憲法の例外規定の適用を受けないので門地差別
2023年03月22日 17:45
旧宮家プランは憲法の例外規定の適用を受けないので門地差別という高森氏や道場の主張に対するshinmizuさんのご意見を伺ってみたいですね。私はどちらかと言えば旧宮家の復帰などが良いのでは?と思っていますが浅学にして道場の主張に対する知識がありません。
shinkimu
2023年03月22日 17:23
「天皇に女性がなれないのは女性差別」という理屈は全くナンセンスだと思います。

これが例えば、首相には女性はなれない、とか大統領は女性がなれないという話でしたら、紛れもない女性差別です。
能力主義の世界では、男女の別や出自の別なく機会はあらゆる面で公平を期されなければなりません。

皇統は血統主義です。これは本質的に差別的で前近代的なシステムなのです。
いつも言っていることですが、そもそもの問題として現代の人権感覚とはソリが会いません。

ですので、このような前近代的な仕組みはもうやめにしましょう。
共和制にして皇室の方々は解放して差し上げましょう、ということならそれは一つの見識として尊重されるべきだと思います。

しかし、この先も今まで通り、皇室というものがこの国に存在し続けていただきたいと願うのであれば、現代の人権感覚に合うように仕組みを改正しましょうというのは私は反対なのです。
しかもそれが本質的な部分での大転換となると絶対に行うべきではないと思います。

それはひとえに、それを行うが最後、蟻の一穴となり全体が保たなくなると思うからです。
一つ変えたらあらゆる部分での整合性が取れなくなりシステムは崩壊します。
それは立脚点が前近代的なものであるが故なのです。
「二代と続かないでしょう」とある識者の方はおっしゃっていましたが、私もそうなると思います。
共産党が女系容認というのも意識的にそれを目指しているからに他なりません。

過去において、皇統が直系長子優先で繋がれてきたことはなく、あくまでも父系によって繋がれてきました。時には遠い傍系に移してもその原理原則は2000年もの間徹底的に守られてきたのです。

頑迷固陋ということではなくこれこそが保守思想の本質なのです。長く続いてきたものには人智を超えた何か深い本質があるはずなのです。それが何かここで説明することも可能ですが、その必要性もないと思うのです。

歴史の重み、そのことに対する畏怖の念を欠いた、近眼視的な理性万能主義に基づいた議論は意味がないだけでなく危険極まりないと思うのです。