ゴー宣道場とは小林よしのりの持論披露会

ここのところ、当方ブログでは葉月蓮さんの過去ツイを転載したり、shinkimuさんの意見を紹介していますが、だからといって私はお二方の主張に賛同しているわけではありません。
葉月さんにしろ、キム兄ィにしろ、「なるほど」と納得させられる意見ではありますが、その内容すべてを肯定してはいません。
イボ道場サイド、公論戦士たちがTwitter上でアンチ認定している人たちに関しても私とは考え方が違う人たちであることをそのツイート内容で分かっていますし、お互い仲間意識というものはありません。
世の中には敵か味方のどちらかしかいないなんていう考え方はカルト教団の信者にしか通用しません。
どうやらイボナメクジこと小林よしりんを含め、ゴー宣読者(公論戦士)にはそれが理解出来ないようです。
まさにそれがカルト信仰の証拠ともいえます。
AA9DAC76-DACF-479C-AFDB-CDCE6D63DEDF.jpg引き続き、葉月蓮さんが小林よしのり及びゴー宣道場について分析したツイートがありますので、以下に紹介します。

もはやゴー宣道場とは、小林よしのりの持論披露会であって、門弟門下生にとっては小林ファンクラブ活動の拠点でしかない。
関係者はこの意見に肯定するはずないが、冷静に客観的に運営や設営隊のやっている事を分析してみてほしい。
参加している自分を振り返って、どれだけ周りに影響を与えて信頼を得たかどうか?
よく「家族の理解あって」ということを言っていた門弟がいたが、理解というより「よく分からない趣味だがやらせておこう」という諦感では? と思うことばかりだった。
本当に理解され、本人が社会をより良く変わるための言動をしているなら、道場に参加するために家族を「説得」する必要などないはずだ。
また、職場の人間が「見当違いな社会分析(小林言説と違う見解)」をしていて呆れたと言いながら、
人間関係は煩わしいと議論そのものを否定するようなことを堂々とメーリスに書く門弟もいた。
地方道場の設営隊関係者には、逆に
「周りの人をつかまえて議論をした」
ということを自慢気に言う人もいるが、信頼関係のない人間関係で一方的に「小林言説」を聞かされた相手はどう思うだろう?
Twitterにも、
「小林なら」
「小林がいれば」
と、小林言説に思考を丸投げしたリプを送りつけるアカウントを見かけるが、
そういう事やってて何の意味があるの?」
と聞きたくなってしまう。
1人の人間が社会の全ての事象において正しい見解が出せるはずがないという当たり前の前提が欠けているし、小林よしのり自身が、
「間違えることもある」
「アップデート()していく」
と言っているにも関わらず、その訂正以前の論を支持していた門弟門下生が自らもその訂正を行ったという話はついぞ聞かない。(私自身、門弟でいた頃に発した意見はかなり変わったので、訂正する機会はとりたいと思う)
つまり、門弟門下生はそのほとんどが小林言論に「そうだそうだ」と同調し、小林が訂正すると「間違いを認めて素晴らしい」と、自らの言動には責任を持たず、門弟門下生同士で小林言論の焼き直しをして盛り上がっているだけにしか見えない(実際その通りだろうし)。
小林よしのりのように、節操なく話題になりそうなジャンルに「考察」する言論など専門家のそれ以上に参考になるはずなどないのだから、せいぜいゴー宣は思考の参考書くらいが大人の対応だと思う。
教科書どころか、教典になっているように見える言動をしておきながら、
「カルトと言うやつは道場を知らない」
なんて反論にもなんにもなってない。
「知らない人間から見たらカルトとしか言えない」と言われてるんだよ…
オウムの上祐と同じになってるよ…
タコツボになってるんだよ…

この葉月蓮さんの分析は2019年にされたものであり、コロナ禍以前のものです。
しかし、この内容はまさに今現在ゴー宣道場がネット空間で行なっている運動「論破祭り」への批評として読めるのが面白いです。

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