「公論」とは何か?

ゴー宣道場元門弟葉月蓮さんが2016年から2018年頃の道場内部の実情についてツイートしていたのをここに転載させていただきます。
あの当時の道場の内情こそが今のゴー宣道場の有り様に直結していると思えますので、今更感はあるものの再度取り上げさせていただきます。

当時親しくしていた門弟と「ここだけ話」になるとよく話題になったのが、初代設営隊長和ナビィ氏とメーリスに加わったカレーせんべい氏についての愚痴でした。
お二人の「困ったちゃんぶり」については、機会があれば別に詳述しますが、この日、私はこれで門弟辞めさせられてもいいやという気持ちで、
「和ナビィさんとカレーせんべいさんの仕切りたがりには違和感がある。二人の意見に同調しなければ門弟じゃないくらいの同調圧力がある」
ということを小林に訴えた。
実際、設営の受付では和ナビィ氏に気兼ねして支障があると聞いていたし、メーリスに参加するやいなや、
「設営で筆記具の貸出しを行うべきだ!それでアンケートを書けずに帰る参加者がいたら道場の損失だ」
などと提案()してくるカレー氏には、門弟の多くが失笑していた。
小林の返答は、
「カレーに対しては遠慮なく批判していい。そんな同調圧力なんか気にしないで構わない。Wさんには設営にいてもらわないと困る。時間と金に余裕があって、どこでやっても道場に参加できる人は他にいないだろう」
という内容だった。》(葉月蓮さん)

関西版「ゴー宣道場」が終わったが、いやあ凄かった。はっきり言って大成功だった。
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昨日は一日当サイトが攻撃を受けていて、繫がらなかった。
警察がちゃんと調べてくれたら、住所氏名は特定できるはず。逮捕してほしいが、それが無理なら、犯人の住所氏名を晒すくらいのことはやらせてほしい。
当サイトのわしの言論もあちこちに拡散されるから、イラつくのだろうが、反論があれば自分のSNSの場ですればいい。人の言論の場を封じるのは、卑屈でみっともない。
警察関係でわしの読者もいるだろうし、このサイトを読んでる者もいるだろうからよろしく頼む。

「人の言論の場を封じるのは卑劣でみっともない」という小林よしりんの意見、私はこれに完全同意します。

公論、公論と何度も言ってきた。最も「公」に資する意見は何か?それを議論しようということだ。どのような「公共空間」が健全だろうと考えてもいいかもしれない。最大多数の幸福を実現するための考え方を決めようというのが「公論」を目指すということだろう。けれども意見が違ったら、排除するということではない。反論・異論があるのは当然で、そこから議論を恐れてはならないし、相手を信頼しているからこそ、辛辣でも言わなければならないこともある。

反論・異論があるのは当然で、そこから議論を恐れてはならないし、相手を信頼しているからこそ、辛辣でも言わなければならないこともある。」という小林よしりんの意見にも私はまるっと同意します。

人のSNSやブログページの記事にイラついて運営会社に大量の削除要請を送りつけて言論の場を封じたり、相手の批評について精神的に傷つけられたと訴えたり、異論や反論からひたすら逃げ回った挙げ句に相手をストーカー呼ばわりするような奴は言論をやる資格はないと思います。

「ゴー宣道場」を始めたときも、運動化することを危惧する声はあったが、運動というのは特定の政党や主張を拡大する行為のことだろう。「公論」をやろう、議論する場を作ろうということを、運動と批判するのは間違いだし、むしろそういう場は必要だから、全国津々浦々に場が出来ることが望ましいのだ。モノを考えずに、結論が固まった集団が、デモだけやってるのって民主制の堕落だろう。》
全国展開すると言ったら、いわく「運動になる」、いわく「イベントになる」と警戒する者がいるが、問題が出てきたらそのとき対処すればいい。
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小林には、門弟の実状は伝わらないかと諦めかけた時、またも斜め上からの話題がふってきた。
「前にいた門弟で、Wさんに言われてやめさせたことがある」
それこそが、2018年8月21日のネット番組で泉美木蘭氏と一緒になって放言した、鷲ヲ夫人についてのデマの元となる話に他ならなかった。
その「やめさせた門弟」というのが、私も知己だった鷲ヲ夫人のことと確認をとってから、どういう話でやめさせたのかと促した。
「Wさんに泣きつかれたんだよ。あの人は男の話ばっかりでイヤだ、困ると」
私は鷲ヲ夫人が当時プライベートで苦労している事をそれとなく聞いていたし、実のところ、男性のことで相談を受けたことがあった。
しかしそれは1人だけで、真剣な悩みだった。
なので、その事を伝えたうえで和ナビィ氏の話の詳細を聞こうとしたが、
「とにかく色んな男の話ばっかりだって。Wさんがイヤだっていうなら仕方ない、それで切ったんだよ」
小林の話しぶりからはまるで事の大きさを感じられなかった。
設営隊長というだけで、個人的な感情のみの"訴え"が通ってしまうのか?
それではいくら門弟として道場に貢献しようと思っていても、和ナビィ氏に好かれなければならないという事ではないか?
私自身、その直前に和ナビィ氏の批判を小林本人にしたが、
「だから彼女を門弟からやめさせて」
など言えるわけもないし思いもしなかった。
コミュニティを「より良く」するための批判と、コミュニティを「より都合よく」するために、気にいらない意見や人を排除することの違いくらい知っていた。
鷲ヲ夫人が事実上門弟から「排除」させられてから、個人的に連絡をとるような付き合いも無くなっていたのと、この時は私もまだ小林の「ファン」であったため、それ以上、和ナビィ氏の"訴え"の詳細も聞けず、小林のやりようへの非難も出来なかった。
悔やんでも悔やみきれない。

小林よしのりは、
「ここでだけ、君にだけ」
というつもりで、これらの話を私にしたのだろうとは思う。
私から外部に話の内容が洩れる心配などしていなかったのだろうし、実際誰にも話さずにいた。小林が友人の退会理由をねじまげたり、鷲ヲ夫人のデマを流したりしなければ。
私に対する不誠実な言動だけならば(言説に対しての批判はしたとしても)、私もわざわざ自分の黒歴史を辿ってまで小林よしのりの実態を明かすようなことはしなかったと思う。
小林がしてきた一般人への一方的な非難にしても、直接の知己でなければ気の毒にと思いはしてもそれ以上のことは出来ようもない。
私の知っていることが全てではないのは当然だから、私のツィート内容を全て信じろという気もない。
ただ、私のツィート内容は私の経験した事実だということは間違いない。》(葉月蓮さん)



はもうなにもかもみな懐かしい…
ただそれだけ。

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