公論戦士の論破という名のクソリプ
イボナメクジこと小林よしのりの秘書が近頃Twitterアカウントを開設したのですが、そのことについて秘書式波バタ子こと秘書キシバタはブログで次のような注意事項を書いています。
公論イベントTwitter公式アカウントを開設しました! | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/38815/
《公論戦士たちは、トンデモ論で直系継承を妨害する倉山満をガンガン論破してすごいです!》
ナクラさんの、ここでは無理をしたり、過激な活動をしたりする可能性があるのです。は問題がありますね。そうなった場合、女系派の信頼は地に落ちるでしょう。
「目的が手段を浄化する」ことなどありえません。
また、それを男系派のせいとするのは無理があります。
shinkimuさんが三島由紀夫を引用するのも、その死の行動を見れば悪手と言わざるをえません。
当時の青島幸男のコメントはご存じないのですかね?
しばらく見ていましたが、道場でも知性派と言われる方でもこれはちょっと…
日本の皇室において、天皇としての皇位継承は、初代神武天皇から繋がる男系継承の原則によってなされてきたというのが、現在においても日本政府のオフィシャルな見解です。
しかし、それが事実であるかどうかということよりも重要なことは、この原理原則によって繋がれてきた万世一系の天皇の地位が、日本国民の総意で信任されているということです。
最近、岸田首相が皇位継承について国会で議論を進めるというニュースがありましたが、ヤフーニュースのコメント欄にびっしり書き連なったコメントに驚きました。そのほとんどが秋篠宮家へのバッシングであり、悠仁親王は天皇に相応しくないというコメントも多かったです。
現代の「愛子天皇待望論」というものがどこから来ているものなのか今ひとつわからなかったのですが、こういう背景もあったのですね。
「誰々は天皇に相応しく誰々はそうではない」という恣意が介入し、天皇陛下が人気投票で選ばれたとなったら、国民の総意による天皇への信任は崩れます。
その制度はこれまで通り末長く続くものになり得るでしょうか。
私の若い頃などは、皇室への批判などはまだまだタブー視されていた記憶があります。
それがインターネットの普及によっていつのまにかなし崩しにされてしまいました。パンドラの箱が開いた形で、それは年を追うごとにエスカレートしています。
個人的にこれは由々しき問題かと思います。
男系派はなんでこんなに楽天的なのか、というお話ですが、私はどこかでそれこそ天壌無窮の神勅を素朴に信じている節があります。それが存在しなければならないものならば、これまで同様続いていくものだと思うのです。「今、今、今」と、拙速で形を捻じ曲げてしまったら取り返しのつかないことになります。
購読者の子様がおっしゃるように「目的が行動を浄化する」ことなどあり得ません。
言葉の使い方が不明確で、申し訳ありません。「男系継承=女性排除の継承」の意味で使いました。
皇位継承から女性排除は明治時代に行われました。検討時には消極的女性容認の案でしたが、制定担当者の強い意志で排除されました。
「日本政府のオフィシャルな見解」は、男系継承(父親をさかのぼれば・・)である事実は尊重するの意で、原則とは言っていない気がします。
憲法第二条の世襲とは、男女の区別はないとも言っていますので・・。
「秋篠宮家へのバッシング」については、平成の時の「秋篠宮派」と「旧東宮派」で争っていたなごりと、ミハー的な野次馬が尻馬に乗って、「えらい人」を攻撃することで憂さをはらしてる側面があると思います。
「愛子天皇待望論」は色々な側面があるので、なんともいえませんが、敬宮愛子内親王殿下ご誕生以来、世論調査で「女性天皇容認」の意見は、過半数を常に超えています。
素地はあるのでしょう。
「誰々は天皇に相応しく誰々はそうではない」の議論はやってはいけないと思っています。
そうなる危険性は危惧されていて、田中卓先生は、敬宮愛子内親王殿下が幼いうち、また悠仁親王殿下が誕生される前に、皇室典範の改正を決めてしまおうとしました。
それに反発した「男系派」に妨害されているので、こういう状況の責任は「男系派」にあると思っています。
「男系派」は、明治時代の「男系男子の原則」を強く言われるのに、「皇統を分けてはいけない原則」は少しも言われないのはなぜなんでしょう。
「壬申の乱」を初めてとして、皇統を枝分かれさせて良いことは発生しません。
秋篠宮殿下に「皇位簒奪」の汚名を平気で着せようとしてるのでしょうか。
たしかに明治典範も現在の皇室典範も皇位継承は男系男子に限られていますね。
これらの立法意図がどういう理由に基づくものなのかは私はわかりません。
ただ、以前にも申し上げた通り、女性天皇が皇位につけばそこは女系継承の端緒になってしまいます。
公論イベントTwitter公式アカウントを開設しました! | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/38815/
《アンチの皆さん、こちらにクソリプしてきても、よしりん先生が相手にすることはありません。完全スルー&ブロックしますので、無駄な労力はやめましょう
》

イボナメクジこと小林よしのりは反対意見や批判を受けても相手にせずにブロック逃走するそうです。
それに比べて男系派の倉山満は公論戦士の愚にもつかないクソリプに対しても真っ向からファイティングポーズを取って対応しているようです。
それだけでもう小林なんかより倉山の方が言論人としての矜持や覚悟があると思ってしまいます。
ちなみに私は倉山満の論説について賛同する立場ではありません。
それでも相手がどんなに愚劣な狂信者集団であっても臆さずに反論し続ける倉山は立派であると評価せざるを得ません。
《公論戦士たちは、トンデモ論で直系継承を妨害する倉山満をガンガン論破してすごいです!》
公論戦士たちに批判されて平静さを失い動転する倉山満 | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/39122/
《倉山は立皇嗣宣明の儀のお言葉を大御心だと断言しています。平静さを失い、反論ではなくて、倉山はただ自分を保身するために無茶苦茶なことを言い始めました。これに対して、公論戦士たちは辛辣に論破しています。》
《倉山は立皇嗣宣明の儀のお言葉を大御心だと断言しています。平静さを失い、反論ではなくて、倉山はただ自分を保身するために無茶苦茶なことを言い始めました。これに対して、公論戦士たちは辛辣に論破しています。》
ここでの論破って、要するに秋篠宮殿下は自らの意思で立皇嗣宣明の儀に臨んだのではなく、時の政府の操り人形と化していていたと言う、まぁ絵に描いたような陰謀論を述べているだけです。
それのどこが論破?
いわゆるゴー宣シンパ(公論戦士)の論破祭りとやらの標的になっている倉山満は次のように語っています。
《「論破」って、相手が認めるか第三者が判定するもの。自分(たち)で「論破しました」なんて決めるものでもないし、間違ってもそんな「自称論破祭り」をやってますなんて、プロの言論人なら恥ずかしくて言えない。誰かマトモな大人が止めないのかね。》
倉山満について私はよく知りませんが、上の意見にはまるっと賛同します。
ゴー宣道場サイドは毎日のように「論破した」と言っては勝利宣言をしていますが、その負け犬の遠吠え感に何故気づかないのでしょうか。
カルト宗教などは自分たちが信奉している教義が最も正しいと主張しますが、ただ自分たちの正しさを声高に訴えても世間一般には届きません。
ハナから世間一般に届けるつもりもなく、「自分たちだけが真実に目覚めている」と思い込みたいのなら、それはそれで好きにしたら良いでしょう。
しかしそれでは、「いわゆる皇統問題」が解決することはないでしょう。
当方ブログで繰り広げられていた皇統談議がどうやら終わったようですので、以下にやりとりの続きを紹介します。
《直系よしりんに対しての、イデオロギーの影響は間違いでしょう。
私から言わせれば、「安保闘争の残党」とでも言いましょうか。ナクラさんの、ここでは無理をしたり、過激な活動をしたりする可能性があるのです。は問題がありますね。そうなった場合、女系派の信頼は地に落ちるでしょう。
「目的が手段を浄化する」ことなどありえません。
また、それを男系派のせいとするのは無理があります。
shinkimuさんが三島由紀夫を引用するのも、その死の行動を見れば悪手と言わざるをえません。
当時の青島幸男のコメントはご存じないのですかね?
しばらく見ていましたが、道場でも知性派と言われる方でもこれはちょっと…
しかし、この程度の突っ込みも入れられない現在の道場については、推して知るべしと言うものでしょうか。》(購読者の子さん)
《ナクラさん
男系継承が行われたのは明治になってからという思い込みはどこから来るのでしょう。日本の皇室において、天皇としての皇位継承は、初代神武天皇から繋がる男系継承の原則によってなされてきたというのが、現在においても日本政府のオフィシャルな見解です。
しかし、それが事実であるかどうかということよりも重要なことは、この原理原則によって繋がれてきた万世一系の天皇の地位が、日本国民の総意で信任されているということです。
最近、岸田首相が皇位継承について国会で議論を進めるというニュースがありましたが、ヤフーニュースのコメント欄にびっしり書き連なったコメントに驚きました。そのほとんどが秋篠宮家へのバッシングであり、悠仁親王は天皇に相応しくないというコメントも多かったです。
現代の「愛子天皇待望論」というものがどこから来ているものなのか今ひとつわからなかったのですが、こういう背景もあったのですね。
「誰々は天皇に相応しく誰々はそうではない」という恣意が介入し、天皇陛下が人気投票で選ばれたとなったら、国民の総意による天皇への信任は崩れます。
その制度はこれまで通り末長く続くものになり得るでしょうか。
私の若い頃などは、皇室への批判などはまだまだタブー視されていた記憶があります。
それがインターネットの普及によっていつのまにかなし崩しにされてしまいました。パンドラの箱が開いた形で、それは年を追うごとにエスカレートしています。
個人的にこれは由々しき問題かと思います。
男系派はなんでこんなに楽天的なのか、というお話ですが、私はどこかでそれこそ天壌無窮の神勅を素朴に信じている節があります。それが存在しなければならないものならば、これまで同様続いていくものだと思うのです。「今、今、今」と、拙速で形を捻じ曲げてしまったら取り返しのつかないことになります。
購読者の子様がおっしゃるように「目的が行動を浄化する」ことなどあり得ません。
未来に備えることももちろん重要ですが、巨視的に状況をとらえて、静かに見守るということが今はもっとも大切だと思うのです。》(shinkimuさん)
《shinkimuさん
「男系継承が行われたのは明治になってからという思い込みはどこから来るのでしょう。」のお尋ねですが。言葉の使い方が不明確で、申し訳ありません。「男系継承=女性排除の継承」の意味で使いました。
皇位継承から女性排除は明治時代に行われました。検討時には消極的女性容認の案でしたが、制定担当者の強い意志で排除されました。
「日本政府のオフィシャルな見解」は、男系継承(父親をさかのぼれば・・)である事実は尊重するの意で、原則とは言っていない気がします。
憲法第二条の世襲とは、男女の区別はないとも言っていますので・・。
「秋篠宮家へのバッシング」については、平成の時の「秋篠宮派」と「旧東宮派」で争っていたなごりと、ミハー的な野次馬が尻馬に乗って、「えらい人」を攻撃することで憂さをはらしてる側面があると思います。
「愛子天皇待望論」は色々な側面があるので、なんともいえませんが、敬宮愛子内親王殿下ご誕生以来、世論調査で「女性天皇容認」の意見は、過半数を常に超えています。
素地はあるのでしょう。
「誰々は天皇に相応しく誰々はそうではない」の議論はやってはいけないと思っています。
そうなる危険性は危惧されていて、田中卓先生は、敬宮愛子内親王殿下が幼いうち、また悠仁親王殿下が誕生される前に、皇室典範の改正を決めてしまおうとしました。
それに反発した「男系派」に妨害されているので、こういう状況の責任は「男系派」にあると思っています。
「男系派」は、明治時代の「男系男子の原則」を強く言われるのに、「皇統を分けてはいけない原則」は少しも言われないのはなぜなんでしょう。
「壬申の乱」を初めてとして、皇統を枝分かれさせて良いことは発生しません。
秋篠宮殿下に「皇位簒奪」の汚名を平気で着せようとしてるのでしょうか。
「立皇嗣の礼」の秋篠宮殿下の不機嫌に見えた要因が、ここにあるのかもしれません》(ナクラさん)
《ナクラさん
「政府のオフィシャルな見解」とは皇統譜のことです。宮内庁長官と書陵部長の署名が入っています。たしかに明治典範も現在の皇室典範も皇位継承は男系男子に限られていますね。
これらの立法意図がどういう理由に基づくものなのかは私はわかりません。
ただ、以前にも申し上げた通り、女性天皇が皇位につけばそこは女系継承の端緒になってしまいます。
女性天皇は、お相手が旧宮家の御子息でもない限り、結婚することも子供を産むことも禁忌になる可能性もあります。そのような不幸に皇族女性を追い込むことがないという意味においては合理性のある立法だと思っています。
いつも言うようにそれが歴史の重みで、誠に失礼ながら女系派の方々はこの認識が足りないのでは思うことがあります。
伝統に対する畏怖の念がないのです。
たとえば共産党が女系継承を容認しているのは確信犯ですが、そうではなく単に無知で歴史観を持ち合わせていない方も多い気がします。
私は皇室の男系継承の伝統は女性を排除してきたのではなく、男性を排除してきたという男系派の言説には合理性があると思っています。
でも、本当はそんな説明もいらないと思うんです。
数学者の藤原正彦さんが言うように、例えば「天皇家で毎朝1時間、イワシの頭にお祈り」してきたら、今後永遠にイワシの頭に1時間お祈りしなければいけない。」
それが保守思想で、この説明で十分だと思うのです。
「女系継承」をしたら、どのような支障があるのでしょうか。具体的に説明できますか。
現在、「父」と「母」から生まれた子供は、どちらかから受け継ぐがれたかに大きな差は無いと思います。
「歴史の重さ」で、将来を潰してしまうのなら、それは本末転倒ではないですか。
故フィリップ殿下の言葉ではないですが、贔屓の引き倒しにならないよう、注意しましょう。
皇室にとって、現在天皇制を現在受け入れているように見える日本共産党より、そちらの方が怖いと思います。(ちなみに天皇制は左翼用語、右翼は国体と言います。)
「女性差別」も「男性差別」もしない方が良いと思います。日本の本来の「双系継承」の姿に戻りましょう。
小泉政権時に、ほぼ決定していたとみられる「直系継承」に、横槍を入れて「傍系」に皇統を移す動きを「簒奪」と言うのです。
もちろん、秋篠宮殿下の意思ではないと思われますが、秋篠宮家の評判は低迷しています。
秋篠宮殿下は、男尊女卑ではありません。その表れとして「侍従」「女官」の区別を廃止しています。
佳子内親王殿下は、「ジェンダー平等」を公言して、皇族なのにと批判されていますが、皇室内の、「ジェンダー平等」を言われているのではないでしょうか。
つまりは、敬宮愛子内親王殿下が皇太子になることを望んでいるように見えます。
先日の「雅楽鑑賞」は印象的でした。お二人で、しかも敬宮殿下を常に上座おいて鑑賞されていました。
女系推進派のおっしゃることは、乱暴な言い方かもしれませんが、皇統は危機なので、今のうちにさっさと潰してしまおう、と考えているようにしか感じられないのです。
共産党に近い革命思想と思うゆえんです。
双系という言葉の使い方もよくわからないのですが、この言葉は「父方にも母方にも両方に天皇の血統がある」という意味です。
愛子様が皇位を継承し、民間男性と婚姻関係を持った場合は、双系ではありません。
想像していただきたいのですが、今、傍系とはいえ、紛れもない正統性を持った秋篠宮家にこのような異様なバッシングがあるのに、愛子内親王が仮に民間人と結婚し、万世一系の皇統が崩れ、言葉は悪いですが、「雑系」としか言いようのないところに皇位が移ってしまうようなことになったら…。
それこそがまさに「皇位簒奪」で、その紛糾は想像するにもおぞましい事態になるとは思いませんか。
八木秀次さんがおっしゃっていたように、そのようなオーセンティシティのない権威は二代と持たないものになると私も思います。
皇統譜に記録されている2600年に渡る皇統とは、時に傍系に移ることを繰り返しながら、あくまでも神武天皇からの一本の線で繋がっていることにその正統性があるものです。
「皇統譜」が、必ずしも「将来」を指し示すわけではないというのはその通りです。
しかし、その「歴史の重み」を拠り所にしなければ、皇室というものは存在意義を持たないものだと思います。
ブログ主さんの開設趣旨とは、関係なしで申し訳なかったです。
私は、相手の「論破」を目的している訳ではないので、相手にもうお前のコメントは解らない、聞きたくと言われれば、止めることに異存ありません。
とはいえこのあたりでひとまず終了にしましょうか。
>「愛子天皇論」は単行本自体が現実を変える力になるので、早く政治家や男系固執派にも読ませたい。社会に『戦争論』の時のようなインパクトを与えたい。
10年以上前にすでに論破されし尽くされていることを、壊れたレコードのようにひたすら繰り返していることに唖然とします。
これでどうやって現実を変えられるのか。
論敵を何も考えていない単純馬鹿みたいに戯画化し攻撃するこの使い古された手法に騙される読者とは?
「戦争論」と比較したり、愛子様が皇太子になるまで続けるとか、笑止としか言いようがないです。
不思議なことは、この、作品として全く面白くもなく不出来なものが、毎週週刊誌で垂れ流され続けているということ。
最近の小林さんは悪質なクレーマーみたいなもので何でもブログに書かれてしまうので編集者も手がつけられないのかもしれません。
多分どこかで頓挫すると思いますが、ウォッチしがいがありますね。
今さら言ってもしょうがないですが、この方とその一派にとにかく必要なのは立場が違う相手への敬意です。
気に入らない連中をポルポトみたいに全部抹殺できるのなら話は違いますが、それは出来ないのに、何でこのやり方が世の中に通ると思えるのか。
ほんと大丈夫かと。
いつも言うようにそれが歴史の重みで、誠に失礼ながら女系派の方々はこの認識が足りないのでは思うことがあります。
伝統に対する畏怖の念がないのです。
たとえば共産党が女系継承を容認しているのは確信犯ですが、そうではなく単に無知で歴史観を持ち合わせていない方も多い気がします。
私は皇室の男系継承の伝統は女性を排除してきたのではなく、男性を排除してきたという男系派の言説には合理性があると思っています。
でも、本当はそんな説明もいらないと思うんです。
数学者の藤原正彦さんが言うように、例えば「天皇家で毎朝1時間、イワシの頭にお祈り」してきたら、今後永遠にイワシの頭に1時間お祈りしなければいけない。」
それが保守思想で、この説明で十分だと思うのです。
皇位簒奪という理屈がわかりません。これも何度も申し上げている通り。天皇はなりたくてなるものではなく、ならなければならない人が宿命としてなるもので、財産や家の相続とはちがいます。特に今の時代、そのことで争いが起こることは考えにくいと思います。》(shinkimuさん)
《shinkimuさん
「皇統譜」とは、記録ですよね。「過去」を反映していますが、必ずしも「将来」を指し示すわけではないでしょう。「女系継承」をしたら、どのような支障があるのでしょうか。具体的に説明できますか。
現在、「父」と「母」から生まれた子供は、どちらかから受け継ぐがれたかに大きな差は無いと思います。
「歴史の重さ」で、将来を潰してしまうのなら、それは本末転倒ではないですか。
故フィリップ殿下の言葉ではないですが、贔屓の引き倒しにならないよう、注意しましょう。
皇室にとって、現在天皇制を現在受け入れているように見える日本共産党より、そちらの方が怖いと思います。(ちなみに天皇制は左翼用語、右翼は国体と言います。)
「女性差別」も「男性差別」もしない方が良いと思います。日本の本来の「双系継承」の姿に戻りましょう。
小泉政権時に、ほぼ決定していたとみられる「直系継承」に、横槍を入れて「傍系」に皇統を移す動きを「簒奪」と言うのです。
もちろん、秋篠宮殿下の意思ではないと思われますが、秋篠宮家の評判は低迷しています。
秋篠宮殿下は、男尊女卑ではありません。その表れとして「侍従」「女官」の区別を廃止しています。
佳子内親王殿下は、「ジェンダー平等」を公言して、皇族なのにと批判されていますが、皇室内の、「ジェンダー平等」を言われているのではないでしょうか。
つまりは、敬宮愛子内親王殿下が皇太子になることを望んでいるように見えます。
先日の「雅楽鑑賞」は印象的でした。お二人で、しかも敬宮殿下を常に上座おいて鑑賞されていました。
これからは、敬宮殿下を支えて行くことを示していると思いました。》(ナクラさん)
《ナクラさん
何度も書いているように、女系継承を推進しても、皇統が安定するということにはなりません。なんでそう考えられるのかがわかりません。
女系推進派のおっしゃることは、乱暴な言い方かもしれませんが、皇統は危機なので、今のうちにさっさと潰してしまおう、と考えているようにしか感じられないのです。
共産党に近い革命思想と思うゆえんです。
双系という言葉の使い方もよくわからないのですが、この言葉は「父方にも母方にも両方に天皇の血統がある」という意味です。
愛子様が皇位を継承し、民間男性と婚姻関係を持った場合は、双系ではありません。
想像していただきたいのですが、今、傍系とはいえ、紛れもない正統性を持った秋篠宮家にこのような異様なバッシングがあるのに、愛子内親王が仮に民間人と結婚し、万世一系の皇統が崩れ、言葉は悪いですが、「雑系」としか言いようのないところに皇位が移ってしまうようなことになったら…。
それこそがまさに「皇位簒奪」で、その紛糾は想像するにもおぞましい事態になるとは思いませんか。
八木秀次さんがおっしゃっていたように、そのようなオーセンティシティのない権威は二代と持たないものになると私も思います。
皇統譜に記録されている2600年に渡る皇統とは、時に傍系に移ることを繰り返しながら、あくまでも神武天皇からの一本の線で繋がっていることにその正統性があるものです。
「皇統譜」が、必ずしも「将来」を指し示すわけではないというのはその通りです。
しかし、その「歴史の重み」を拠り所にしなければ、皇室というものは存在意義を持たないものだと思います。
以前に認知バイアスのお話をしましたが、議論によりこれを乗り越え止揚させるのは難しいと改めて感じます。
私から見ればナクラさんがこれに囚われているように見えますが、ナクラさんからすれば私の方こそと写るのかもしれません。》(shinkimuさん)
《shinkimuさん
私は、ここへのコメントを相互の理解を深めるために続けてきました。ブログ主さんの開設趣旨とは、関係なしで申し訳なかったです。
私は、相手の「論破」を目的している訳ではないので、相手にもうお前のコメントは解らない、聞きたくと言われれば、止めることに異存ありません。
相手をしていただき、ありがとうございました。》(ナクラさん)
《ナクラさん
聞きたくないとももう相手にしたくもないとも思っていませんよ。とはいえこのあたりでひとまず終了にしましょうか。
お付き合いいただきありがとうございました。》(shinkimuさん)
《「引き伸ばししなさい」ってサカラエヨシコ?(全く面白くないけど)の意見がもし現実になったときに、悠仁さまに子どもができなかったら、それこそ民間から皇族復帰をしなくちゃいけない。
けどそのときに反対勢力は、こいつらの言う「門地による差別」を理由に憲法違反を訴えるだろうな。結局、皇統断絶の論法を作ったのが、実は狂信的な天皇制支持者だったっていう皮肉になる結末しか見えない。》(匿名希望さん)
10年以上前にすでに論破されし尽くされていることを、壊れたレコードのようにひたすら繰り返していることに唖然とします。
これでどうやって現実を変えられるのか。
論敵を何も考えていない単純馬鹿みたいに戯画化し攻撃するこの使い古された手法に騙される読者とは?
「戦争論」と比較したり、愛子様が皇太子になるまで続けるとか、笑止としか言いようがないです。
不思議なことは、この、作品として全く面白くもなく不出来なものが、毎週週刊誌で垂れ流され続けているということ。
最近の小林さんは悪質なクレーマーみたいなもので何でもブログに書かれてしまうので編集者も手がつけられないのかもしれません。
多分どこかで頓挫すると思いますが、ウォッチしがいがありますね。
今さら言ってもしょうがないですが、この方とその一派にとにかく必要なのは立場が違う相手への敬意です。
気に入らない連中をポルポトみたいに全部抹殺できるのなら話は違いますが、それは出来ないのに、何でこのやり方が世の中に通ると思えるのか。
ほんと大丈夫かと。
テロでも起こさなければいいですが。》(shinkimuさん)
さて、ナクラさんとキム兄ぃの皇統談議は結局お互いの意見の折衷案を見出すことなく当初予想した通り平行線のまま幕を閉じました。
では、この話し合いは無意味なものであったのかというとそんなことはありません。
お二方の努めて冷静であろうとする態度での議論は第三者が読んで考えを深めることが出来たと思います。
イボナメクジこと小林よしのりとその眷属たちはこのような有意義な議論をすることが耐えられずに自分の愚論を一方的に喚き散らし、反対論者の人格まで否定して罵詈雑言の限りを尽くします。
それが第三者にどう見えるのかまで考えることが出来ないのです。
世間一般の無関心層に届く言葉や態度で伝えなければ、その主張が拡がってゆくことはありません。
キム兄ィは「立場が違う相手への敬意」が足りないと指摘されていますが、たとえ相手への敬意がなくても、広く伝えようとするならば、それこそ「相手に敬意を持って対応する」というポーズをとらねばなりません。
それこそイボが大好きな「素晴らしき哉常識」というものでしょう。
ナクラさんとキム兄ィの皇統談議を読んだ人がどちらの立場により説得力があったと感じたのか、また皇統そのものの意義をどう考えるのか、それについては各人が各人の現場でより深く考えたり語り合ったりしてもらえたら、当方ブログで取り上げた甲斐があるというものです。
私自身もお二方の議論について考えるところがありました。
おそらく、男系派や女系派にとってはすでに議論尽くされた内容であると思われるかもしれませんが、議論は何度繰り返しても良いのです。
繰り返すことで新たな発見はありますし、初めて見る者にとってはフレッシュな議題であるのですから、公開で議論する意義がなくなることはありません。
公論とはそういうものです。
その場でたとえ答えが出なくても未来に繋がる議論が出来たら幸いである。ハッピーである。
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