皇族はフリー素材
イボナメクジこと小林よしのり先生が主催する「愛子さま応援祭」というイベントをやるらしく、そのイベントでやる企画を募集しています。
一方その頃、男系派と女系派の公論の場として機能している当方ブログコメント欄にて、皇統談義が続いているのでした。
8人10代の女性天皇が存在したことは事実ですが、いずれの天皇もいわゆる男系の皇族であり、系図上で父親を遡っていけば神武天皇へとたどり着くという原理原則は必ず守られています。
仮に愛子内親王が天皇に即位し、さらにそのお子様が皇位を継がれるということになると、そこが崩れて女系継承の道が開かれてしまうということです。
愛子様のお相手選びは悠仁様とは次元が違うほどの困難に遭われると申し上げたのもその意味です。
日本を二分するような騒動の渦に巻き込まれてしまうのではないでしょうか。
愛子様が皇位を継承されたからと言って皇統は決して安定などしません。
むしろ皇室そのものの存在意義を問われる重大な問題になり、ひいてはこのシステム自体の存続がいよいよ難しくなると思います。
私が最も不思議でならないのは、何度も言っていることですが、女系推進派の方々は、なぜ「いますぐシステムを変えよ」と声高に仰るのでしょうか。
なぜ「今、今、今」なのでしょうか。
悠仁様がお生まれになっていなかった平成18年以前のことでしたらまだわかりますが、今はその危機はひとまず脱したのです。
天皇陛下は神道の最高位の大神主様です。
天皇陛下の最も重要なお仕事は祭祀であり、皇祖神や皇霊、日本の全ての神々と我々をつなぐ役割としてあらせられます。
その祈りは、今生きている我々だけではなく、この長い日本国の歴史の中で生まれ亡くなっていった全ての方々へのものと私は考えます。
だからこそ天照大御神の子孫として、連綿と続く歴史の中での皇位の正統性というものが何よりも重要視されるのではないでしょうか。
高森さんと小林さんのお考えはある種の革命思想ともいえるのかもしれませんが、彼らから感じることはもっと矮小なものです。すなわち、自身が生きている間に、社会的評価も含めたエゴを満足させたいというその欲求から皇室を利用しているとも取れなくもありません。
《shinkimuさん女性天皇と女系天皇の違いは理解しているつもりです。
みなさん言われる、男系継承(系図上で父親を遡っていけば神武天皇へとたどり着くという)は事実ですが、「皇統をつなぐという」原理により積み重ねた結果であって、継承の原理原則ではありません。
ですから、過去に女性天皇が存在するのであり、元々、皇位継承に男女の別は関係ないのです。
私の考えの基になっているのは、田中卓先生著「愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生」です。
一度お読みになれば、私の言ってることへの理解が深まると思います。
田中卓先生は、女系容認の理論的指導者で政府に対する根回しも行いました。
これにより、小泉政権時の「皇室典範に関する有識者会議」が開催され、女系容認の答申(「愛子さま」に弟が産まれてもこの案で改正すべき)がだされました。
当時の小泉総理大臣が、これを法制化すると表明しました。
その時秋篠宮妃の妊娠の情報が出て、なぜか改正案は凍結されて現在に至ります。
女系派はこれを根拠にして論をだしているのです。
政府は卑怯にもサボタージュを続けています。
ここの文意が私にはつかみ取りづらいのですが、たまたま結果的にそうなってきたということでしょうか。
保守主義とは何か。
エドマンド・バークの言葉を借りるなら、人間の理性には限界があり、誤謬をおかすものだということです。
革命後のフランスで、「反革命的」とみなされた人々が次々と断頭台に送られたように、急進的な理性主義はしばしば取り返しのつかない過ちを招きます。
最近のゴー宣道場は男系派議員をカルトとして吊し上げたり、判断を留保するものを高見猿として罵倒したり、異様な先鋭化が見られます。
まさにこの、急進的な理性主義の陥穽に陥ってのものかと思います。
「伝統」とは「偏見」の一形態に過ぎないという考え方もありますが、多くの人間が長い時間をかけて積み上げてきた営為は、たとえ不完全であっても、ここに依って判断することが基本的に良い結果をもたらすということです。
少なくても取り返しのつかない過ちにはなりません。
小林さんがおっしゃるように天皇は科学ではなく神話に基づくファンタジーだと私も思います。
「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリ氏によれば、実態のない共同主観的な神話を全員で共有できたということがネアンデルタール人は滅びたがホモサピエンスは生き残った理由だとか。
たとえそれが虚構、ファンタジーであっても、我々の祖先が少なくても1000年以上の長きに渡って守り続けたファンタジーは、我々の代の責務として大切に守り、子孫にリレーしていかなければならないということです。
小泉政権時の女系容認法制化の流れは当時皇位継承可能な男子が1人も生まれておらず危機的な状況だったという背景があります。
悠仁親王のご誕生により、その危機はひとまず脱することができました。
簡単に記すと、「日本書紀」神代巻(天孫降臨第一の一書)にあるもので、天照大神が「皇孫に勅して曰く、・・・瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。行
ませ。・・・」というものです。
意訳すると、「皇統をつないで、天皇としろ」でしょうか。
男系男子継承しろなどとの方法論はありませんし、天照大神は女性神なので、男尊女卑もないでしょう。
時代が下って、時代に合わせた皇位継承が行われ、明治時代になって男系男子継承になりました。
明治憲法では、天皇は軍隊の総帥ですから男でなければいけないと考えられたのでしょう。
また、当時世の中が、男尊女卑だったのが影響しています。
今も、世の中が男尊女卑だと思われますか?
保守主義についてはコメントを控えます。
最近のゴー宣道場については言われることは理解できます。
ただ、平成の秋篠宮派(秋篠宮ご本人は関係ない)の旧東宮派(これも今上陛下とは関係ない)に対する攻撃は報道機関も含めて激しいものがありました。形勢がが逆転しているのだと思います。
それと、女系容認派は焦っているのです。(悲観的な見方もできるので・・)
政府のサボタージュで「皇室典範」が改正されないことが続けば、敬宮愛子内親王殿下は、いずれ降嫁されます。(佳子内親王殿下はその前に・・)
それまでに、なんとかしないと、皇室は悠仁親王殿下ただひとりになってしまうので、ここでは無理をしたり、過激な活動をしたりする可能性があるのです。
女系容認派からみると、男系派の楽天的すぎるのが気になります。
結婚すれば、必ず子共が生まれる(しかも男の子)と信じているのでしょうか。
植物だって「種無しかぼちゃ」があるのですよ・・。
小林よしりん主催の「愛子祭り上げ企画」では、敬宮内親王の等身大パネルを飾り、自分たちが思い思いの愛子イメージを語り合い、うっとりと股を濡らしたりフル勃起したりするそうです。
おそらくゴー宣道場の公論戦士たちは皇族なんぞ国民のオモチャであり、フリー素材だと認識しているのでしょう。
事実、皇室がらみの写真には肖像権は発生しないとか。
しかし皇族のブロマイドを売って一儲けしようなんて、さすがは小林よしりんが運営する公論の場とやらは恥知らずです。
一方その頃、男系派と女系派の公論の場として機能している当方ブログコメント欄にて、皇統談義が続いているのでした。
《「明治典範は皇位継承について初めて明文化された」ということは、固定的な原理原則はあえて定めておらず、柔軟に対応していたということでしょう。
江戸時代に女性天皇が存在していたのですから、男子限定にしたのは明治時代からです。
「正統性を有した皇位継承者が、現時点で一人」になって大丈夫だと思っているのですか。
結婚のことで言えば、一人と複数では安定性に違いが出ます。
愛子天皇の結婚等が不調に終わったとしても、悠仁親王のお子様(男でも女でも)に皇位をたくすことはできます。
「「即位後に結婚」「即位後に出産」した女性天皇は1人もおられません。」は事実ですが、令和は短いと思っているのでしょうか。順調にいけば、今上陛下が80歳になられる時にお孫様は生まれていると思いますが・・。》(ナクラさん)
さて、このナクラさんの投稿を受けて、shinkimuさんの反論、更にはナクラさんの再反論と続きます。
《ナクラさんへの回答
まず確認したいのですが、ナクラさんは女性天皇と女系天皇の違いは理解されていらっしゃいますか。8人10代の女性天皇が存在したことは事実ですが、いずれの天皇もいわゆる男系の皇族であり、系図上で父親を遡っていけば神武天皇へとたどり着くという原理原則は必ず守られています。
仮に愛子内親王が天皇に即位し、さらにそのお子様が皇位を継がれるということになると、そこが崩れて女系継承の道が開かれてしまうということです。
愛子様のお相手選びは悠仁様とは次元が違うほどの困難に遭われると申し上げたのもその意味です。
日本を二分するような騒動の渦に巻き込まれてしまうのではないでしょうか。
愛子様が皇位を継承されたからと言って皇統は決して安定などしません。
むしろ皇室そのものの存在意義を問われる重大な問題になり、ひいてはこのシステム自体の存続がいよいよ難しくなると思います。
私が最も不思議でならないのは、何度も言っていることですが、女系推進派の方々は、なぜ「いますぐシステムを変えよ」と声高に仰るのでしょうか。
なぜ「今、今、今」なのでしょうか。
悠仁様がお生まれになっていなかった平成18年以前のことでしたらまだわかりますが、今はその危機はひとまず脱したのです。
天皇陛下は神道の最高位の大神主様です。
天皇陛下の最も重要なお仕事は祭祀であり、皇祖神や皇霊、日本の全ての神々と我々をつなぐ役割としてあらせられます。
その祈りは、今生きている我々だけではなく、この長い日本国の歴史の中で生まれ亡くなっていった全ての方々へのものと私は考えます。
だからこそ天照大御神の子孫として、連綿と続く歴史の中での皇位の正統性というものが何よりも重要視されるのではないでしょうか。
高森さんと小林さんのお考えはある種の革命思想ともいえるのかもしれませんが、彼らから感じることはもっと矮小なものです。すなわち、自身が生きている間に、社会的評価も含めたエゴを満足させたいというその欲求から皇室を利用しているとも取れなくもありません。
その動機が純粋なものとはとても思えず、そうでも考えないと彼らの行動は説明がつかないように思います。》(shinkimuさん)
《shinkimuさん
みなさん言われる、男系継承(系図上で父親を遡っていけば神武天皇へとたどり着くという)は事実ですが、「皇統をつなぐという」原理により積み重ねた結果であって、継承の原理原則ではありません。
ですから、過去に女性天皇が存在するのであり、元々、皇位継承に男女の別は関係ないのです。
私の考えの基になっているのは、田中卓先生著「愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生」です。
一度お読みになれば、私の言ってることへの理解が深まると思います。
田中卓先生は、女系容認の理論的指導者で政府に対する根回しも行いました。
これにより、小泉政権時の「皇室典範に関する有識者会議」が開催され、女系容認の答申(「愛子さま」に弟が産まれてもこの案で改正すべき)がだされました。
当時の小泉総理大臣が、これを法制化すると表明しました。
その時秋篠宮妃の妊娠の情報が出て、なぜか改正案は凍結されて現在に至ります。
女系派はこれを根拠にして論をだしているのです。
政府は卑怯にもサボタージュを続けています。
結論を出さないことで、皇室特に女性皇族多大な困難を強いている状態です。》(ナクラさん)
《ナクラさん
> 「皇統をつなぐという」原理により積み重ねた結果であって、継承の原理原則ではありません。ここの文意が私にはつかみ取りづらいのですが、たまたま結果的にそうなってきたということでしょうか。
保守主義とは何か。
エドマンド・バークの言葉を借りるなら、人間の理性には限界があり、誤謬をおかすものだということです。
革命後のフランスで、「反革命的」とみなされた人々が次々と断頭台に送られたように、急進的な理性主義はしばしば取り返しのつかない過ちを招きます。
最近のゴー宣道場は男系派議員をカルトとして吊し上げたり、判断を留保するものを高見猿として罵倒したり、異様な先鋭化が見られます。
まさにこの、急進的な理性主義の陥穽に陥ってのものかと思います。
「伝統」とは「偏見」の一形態に過ぎないという考え方もありますが、多くの人間が長い時間をかけて積み上げてきた営為は、たとえ不完全であっても、ここに依って判断することが基本的に良い結果をもたらすということです。
少なくても取り返しのつかない過ちにはなりません。
小林さんがおっしゃるように天皇は科学ではなく神話に基づくファンタジーだと私も思います。
「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリ氏によれば、実態のない共同主観的な神話を全員で共有できたということがネアンデルタール人は滅びたがホモサピエンスは生き残った理由だとか。
たとえそれが虚構、ファンタジーであっても、我々の祖先が少なくても1000年以上の長きに渡って守り続けたファンタジーは、我々の代の責務として大切に守り、子孫にリレーしていかなければならないということです。
小泉政権時の女系容認法制化の流れは当時皇位継承可能な男子が1人も生まれておらず危機的な状況だったという背景があります。
悠仁親王のご誕生により、その危機はひとまず脱することができました。
その経緯をふまえながら、さらにこの法整備を拙速的に進めるということについては、上述の理由で全く意義を感じません。》(shinkimuさん)
《shinkimuさん
「天壌無窮の神勅」についての解説を書こうとしましたが、私の力では難しく、引用が主になってさまうので断念しました。《shinkimuさん
簡単に記すと、「日本書紀」神代巻(天孫降臨第一の一書)にあるもので、天照大神が「皇孫に勅して曰く、・・・瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。行
ませ。・・・」というものです。
意訳すると、「皇統をつないで、天皇としろ」でしょうか。
男系男子継承しろなどとの方法論はありませんし、天照大神は女性神なので、男尊女卑もないでしょう。
時代が下って、時代に合わせた皇位継承が行われ、明治時代になって男系男子継承になりました。
明治憲法では、天皇は軍隊の総帥ですから男でなければいけないと考えられたのでしょう。
また、当時世の中が、男尊女卑だったのが影響しています。
今も、世の中が男尊女卑だと思われますか?
保守主義についてはコメントを控えます。
最近のゴー宣道場については言われることは理解できます。
ただ、平成の秋篠宮派(秋篠宮ご本人は関係ない)の旧東宮派(これも今上陛下とは関係ない)に対する攻撃は報道機関も含めて激しいものがありました。形勢がが逆転しているのだと思います。
それと、女系容認派は焦っているのです。(悲観的な見方もできるので・・)
政府のサボタージュで「皇室典範」が改正されないことが続けば、敬宮愛子内親王殿下は、いずれ降嫁されます。(佳子内親王殿下はその前に・・)
それまでに、なんとかしないと、皇室は悠仁親王殿下ただひとりになってしまうので、ここでは無理をしたり、過激な活動をしたりする可能性があるのです。
女系容認派からみると、男系派の楽天的すぎるのが気になります。
結婚すれば、必ず子共が生まれる(しかも男の子)と信じているのでしょうか。
植物だって「種無しかぼちゃ」があるのですよ・・。
不慮の事故だってありうるのですよ・・。一人になることは、危険だと思います。》(ナクラさん)
とりあえず、今のところはここまでやりとりが続いています。
おそらくこのまま続いても延々と平行線を辿るだけであろうことは目に見えていますが、それでも互いの主張を外野から見ていると思考の助けになります。
極力冷静に語り合おうと努力なさっているお二方には感謝します。
さて、お二方の主張を読んでいて、男系派と女系派それぞれに対して色々と疑問が浮かんできます。
例えば、ナクラさんがご指摘されているように、皇位が極めて不安定な状態にあることを男系派はどう捉えているのか。
一部の男系派が旧宮家の皇籍復帰を提案しているのは知っていますが、果たしてそれは有効な手段と言えるのか。
例えば、女系派は悠仁親王が「種無しかぼちゃ」である可能性を恐れていますが、秋篠宮殿下はどうして愛子内親王御誕生のあとに悠仁親王を?
この件はかなり重要な意味があると私などは思うのですが、センシティブな話題なのでなかなか声にあげるのには勇気がいります。
しかし、この件こそ皇統の重みとやらを語る上では避けては通れないのではないでしょうか?
この記事へのコメント
聞きたくないとももう相手にしたくもないとも思っていませんよ。
とはいえこのあたりでひとまず終了にしましょうか。
お付き合いいただきありがとうございました。
私は、ここへのコメントを相互の理解を深めるために続けてきました。
ブログ主さんの開設趣旨とは、関係なしで申し訳なかったです。
私は、相手の「論破」を目的している訳ではないので、相手にもうお前のコメントは解らない、聞きたくと言われれば、止めることに異存ありません。
相手をしていただき、ありがとうございました。
何度も書いているように、女系継承を推進しても、皇統が安定するということにはなりません。なんでそう考えられるのかがわかりません。
女系推進派のおっしゃることは、乱暴な言い方かもしれませんが、皇統は危機なので、今のうちにさっさと潰してしまおう、と考えているようにしか感じられないのです。
共産党に近い革命思想と思うゆえんです。
双系という言葉の使い方もよくわからないのですが、この言葉は「父方にも母方にも両方に天皇の血統がある」という意味です。
愛子様が皇位を継承し、民間男性と婚姻関係を持った場合は、双系ではありません。
想像していただきたいのですが、今、傍系とはいえ、紛れもない正統性を持った秋篠宮家にこのような異様なバッシングがあるのに、愛子内親王が仮に民間人と結婚し、万世一系の皇統が崩れ、言葉は悪いですが、「雑系」としか言いようのないところに皇位が移ってしまうようなことになったら…。
それこそがまさに「皇位簒奪」で、その紛糾は想像するにもおぞましい事態になるとは思いませんか。
八木秀次さんがおっしゃっていたように、そのようなオーセンティシティのない権威は二代と持たないものになると私も思います。
皇統譜に記録されている2600年に渡る皇統とは、時に傍系に移ることを繰り返しながら、あくまでも神武天皇からの一本の線で繋がっていることにその正統性があるものです。
「皇統譜」が、必ずしも「将来」を指し示すわけではないというのはその通りです。
しかし、その「歴史の重み」を拠り所にしなければ、皇室というものは存在意義を持たないものだと思います。
以前に認知バイアスのお話をしましたが、議論によりこれを乗り越え止揚させるのは難しいと改めて感じます。 私から見ればナクラさんがこれに囚われているように見えますが、ナクラさんからすれば私の方こそと写るのかもしれません。
「皇統譜」とは、記録ですよね。「過去」を反映していますが、必ずしも「将来」を指し示すわけではないでしょう。
「女系継承」をしたら、どのような支障があるのでしょうか。具体的に説明できますか。
現在、「父」と「母」から生まれた子供は、どちらかから受け継ぐがれたかに大きな差は無いと思います。
「歴史の重さ」で、将来を潰してしまうのなら、それは本末転倒ではないですか。
故フィリップ殿下の言葉ではないですが、贔屓の引き倒しにならないよう、注意しましょう。
皇室にとって、現在天皇制を現在受け入れているように見える日本共産党より、そちらの方が怖いと思います。(ちなみに天皇制は左翼用語、右翼は国体と言います。)
「女性差別」も「男性差別」もしない方が良いと思います。日本の本来の「双系継承」の姿に戻りましょう。
小泉政権時に、ほぼ決定していたとみられる「直系継承」に、横槍を入れて「傍系」に皇統を移す動きを「簒奪」と言うのです。
もちろん、秋篠宮殿下の意思ではないと思われますが、秋篠宮家の評判は低迷しています。
秋篠宮殿下は、男尊女卑ではありません。その表れとして「侍従」「女官」の区別を廃止しています。
佳子内親王殿下は、「ジェンダー平等」を公言して、皇族なのにと批判されていますが、皇室内の、「ジェンダー平等」を言われているのではないでしょうか。
つまりは、敬宮愛子内親王殿下が皇太子になることを望んでいるように見えます。
先日の「雅楽鑑賞」は印象的でした。お二人で、しかも敬宮殿下を常に上座おいて鑑賞されていました。
これからは、敬宮殿下を支えて行くことを示していると思いました。
「政府のオフィシャルな見解」とは皇統譜のことです。宮内庁長官と書陵部長の署名が入っています。
たしかに明治典範も現在の皇室典範も皇位継承は男系男子に限られていますね。
これらの立法意図がどういう理由に基づくものなのかは私はわかりません。
ただ、以前にも申し上げた通り、女性天皇が皇位につけばそこは女系継承の端緒になってしまいます。女性天皇は、お相手が旧宮家の御子息でもない限り、結婚することも子供を産むことも禁忌になる可能性もあります。そのような不幸に皇族女性を追い込むことがないという意味においては合理性のある立法だと思っています。
いつも言うようにそれが歴史の重みで、誠に失礼ながら女系派の方々はこの認識が足りないのでは思うことがあります。
伝統に対する畏怖の念がないのです。
たとえば共産党が女系継承を容認しているのは確信犯ですが、そうではなく単に無知で歴史観を持ち合わせていない方も多い気がします。
私は皇室の男系継承の伝統は女性を排除してきたのではなく、男性を排除してきたという男系派の言説には合理性があると思っています。
でも、本当はそんな説明もいらないと思うんです。
数学者の藤原正彦さんが言うように、例えば「天皇家で毎朝1時間、イワシの頭にお祈り」してきたら、今後永遠にイワシの頭に1時間お祈りしなければいけない。」
それが保守思想で、この説明で十分だと思うのです。
皇位簒奪という理屈がわかりません。これも何度も申し上げている通り。天皇はなりたくてなるものではなく、ならなければならない人が宿命としてなるもので、財産や家の相続とはちがいます。特に今の時代、そのことで争いが起こることは考えにくいと思います。
「男系継承が行われたのは明治になってからという思い込みはどこから来るのでしょう。」のお尋ねですが。
言葉の使い方が不明確で、申し訳ありません。「男系継承=女性排除の継承」の意味で
使いました。
皇位継承から女性排除は明治時代に行われました。検討時には消極的女性容認の案でしたが、制定担当者の強い意志で排除されました。
「日本政府のオフィシャルな見解」は、男系継承(父親をさかのぼれば・・)である事実は尊重するの意で、原則とは言っていない気がします。
憲法第二条の世襲とは、男女の区別はないとも言っていますので・・。
「秋篠宮家へのバッシング」については、平成の時の「秋篠宮派」と「旧東宮派」で争っていたなごりと、ミハー的な野次馬が尻馬に乗って、「えらい人」を攻撃することで憂さをはらしてる側面があると思います。
「愛子天皇待望論」は色々な側面があるので、なんともいえませんが、敬宮愛子内親王殿下ご誕生以来、世論調査で「女性天皇容認」の意見は、過半数を常に超えています。
素地はあるのでしょう。
「誰々は天皇に相応しく誰々はそうではない」の議論はやってはいけないと思っています。
そうなる危険性は危惧されていて、田中卓先生は、敬宮愛子内親王殿下が幼いうち、また悠仁親王殿下が誕生される前に、皇室典範の改正を決めてしまおうとしました。
それに反発した「男系派」に妨害されているので、こういう状況の責任は「男系派」にあると思っています。
「男系派」は、明治時代の「男系男子の原則」を強く言われるのに、「皇統を分けてはいけない原則」は少しも言われないのはなぜなんでしょう。
「壬申の乱」を初めてとして、皇統を枝分かれさせて良いことは発生しません。
秋篠宮殿下に「皇位簒奪」の汚名を平気で着せようとしてるのでしょうか。
「立皇嗣の礼」の秋篠宮殿下の不機嫌に見えた要因が、ここにあるのかもしれません
男系継承が行われたのは明治になってからという思い込みはどこから来るのでしょう。
日本の皇室において、天皇としての皇位継承は、初代神武天皇から繋がる男系継承の原則によってなされてきたというのが、現在においても日本政府のオフィシャルな見解です。
しかし、それが事実であるかどうかということよりも重要なことは、この原理原則によって繋がれてきた万世一系の天皇の地位が、日本国民の総意で信任されているということです。
最近、岸田首相が皇位継承について国会で議論を進めるというニュースがありましたが、ヤフーニュースのコメント欄にびっしり書き連なったコメントに驚きました。そのほとんどが秋篠宮家へのバッシングであり、悠仁親王は天皇に相応しくないというコメントも多かったです。
現代の「愛子天皇待望論」というものがどこから来ているものなのか今ひとつわからなかったのですが、こういう背景もあったのですね。
「誰々は天皇に相応しく誰々はそうではない」という恣意が介入し、天皇陛下が人気投票で選ばれたとなったら、国民の総意による天皇への信任は崩れます。
その制度はこれまで通り末長く続くものになり得るでしょうか。
私の若い頃などは、皇室への批判などはまだまだタブー視されていた記憶があります。
それがインターネットの普及によっていつのまにかなし崩しにされてしまいました。パンドラの箱が開いた形で、それは年を追うごとにエスカレートしています。
個人的にこれは由々しき問題かと思います。
男系派はなんでこんなに楽天的なのか、というお話ですが、私はどこかでそれこそ天壌無窮の神勅を素朴に信じている節があります。それが存在しなければならないものならば、これまで同様続いていくものだと思うのです。「今、今、今」と、拙速で形を捻じ曲げてしまったら取り返しのつかないことになります。
購読者の子様がおっしゃるように「目的が行動を浄化する」ことなどあり得ません。
未来に備えることももちろん重要ですが、巨視的に状況をとらえて、静かに見守るということが今はもっとも大切だと思うのです。
私から言わせれば、「安保闘争の残党」とでも言いましょうか。
ナクラさんの、ここでは無理をしたり、過激な活動をしたりする可能性があるのです。は問題がありますね。そうなった場合、女系派の信頼は地に落ちるでしょう。
「目的が手段を浄化する」ことなどありえません。
また、それを男系派のせいとするのは無理があります。
shinkimuさんが三島由紀夫を引用するのも、その死の行動を見れば悪手と言わざるをえません。
当時の青島幸男のコメントはご存じないのですかね?
しばらく見ていましたが、道場でも知性派と言われる方でもこれはちょっと…
しかし、この程度の突っ込みも入れられない現在の道場については、推して知るべしと言うものでしょうか。
ギャグは寒いというかそもそも成立してもいない、論敵が言っていることを正しく理解して反論するでもなく、ただ相手をブサイクにデフォルメした藁人形がトンチンカンなことを言うのを、ラキスケから教わったナントカの一つ覚え論理で「ハイ論破」していくあの漫画ですか?
寒い、説得力がないは当然として、それに加えて、何より描写が汚くて読んでいて不快になるのですよ。のぶみの絵本でやたら大泣きして鼻水を垂らさせられている母親キャラに対するのと同じような感覚を覚えますね。
あの品性下劣な漫画を「愛子天皇論」と称して単行本化するんでしょうか?
自分の名前を冠する本が出て、その中身が全く好みと合わないどころか汚くて下品な代物だったとしたら、愛子様ご本人はどう思われるでしょうね。
21歳の女性の気持ちを考えるなら、ご本人の名前を出さず粛々と議論を進めるように描くのが大人のマナーだと思うんですが…
ああ、イボりんのマナーや気遣いは「え?何もいらんよ」のレベルでしたね。失礼しましたwww
上皇様も在位当時、大川隆法のイタコ本に勝手に写真を使われ、言ってもいないことを好き勝手に書かれていました。しかし、少なくとも大川隆法は、ネタとして利用したとはいえ上皇様を語るにふさわしい品性を装って本にしていましたよ。
イボりんのやっていることは大川隆法より下品で悪質で、何より愛子様に対して失礼極まりないと思いますねえ。
さて、その汚くて下品で不敬でつまんない漫画について、ヘドロが間抜けなブログをアップしていました。
https://www.gosen-dojo.com/blog/39092/
「P60の3コマ目の人物名のルビ、 間違いなく「しけはる」にして入稿したのに、 なんでまた「ときかはる」になってんの?」
ぷぷぷっ
ヘドロぴゃん、そんなイボりんがギャグ漫画家として完全にオワッテルことを示す事実をブログに書いたりしちゃいけないよw
青山繁晴をモデルにした(つもりの)キャラなのに、「ときかはる」などというルビを付けられた理由が分からないなら、原因を教えてあげるよ。いくつか考えられるけど、以下のどれか、または全部だと思うねw
1.「繁晴→しけはる」というギャグだと編集者が理解していなかった
2.そもそもイボのギャグに対して編集者が興味を持っていない
3. 絵が下手すぎて青山繁晴がモデルだと気づかれなかった
イボ漫画のどこが面白いのか。イボが何を意図して描いているのか。どの部分がギャグなのか。そういうところに編集者が関心をもっていないんだよwww
まともな編集者が片手間にやっていて気づかないのか、お荷物作家には窓際編集者をつけているのか、それは外部には分からない。
けど、少なくとも「出版社は小林よしのりに優秀な編集者を付け、編集者は誇りとやりがいを持って作家をサポートしようと努めている」ということはないと断言していいね。知ってたけどwww