SHE SAID/シー・セッド その名を暴け

昨夜、『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』を観に行きました。
91CE98F3-2C02-4184-A469-8A6FABF24A30.jpg
この作品は世界中で社会現象となった#MeToo運動を爆発させ、社会を動かした記者と女性たちの実話をもとにした記事の映画化です。
この作品を観ている時、どうしても葉月蓮さんが受けた被害について頭に浮かんでしまい、鑑賞に集中出来ませんでした。
被害を私に打ち明け、その内容を私がブログ記事にしたことによって起きた二次加害のことなどを思い出し、何ともやりきれない思いになり、重苦しい心持ちで劇場をあとにしました。

3B90FC78-EEB5-4118-868D-68ED5257D433.jpg

葉月蓮という名前は仮名であり、彼女は匿名で告発したわけです。
ゴー宣道場という世間的知名度がまるでない場所で起きたことなので、彼女の声に耳を傾ける人はほんの僅かしかいません。
そもそも彼女自身も「告発」する意思はなかったし、おおごとになった時に矢面に立たされるのは彼女であり、それによって傷つくのも彼女です。
ブログ記事にした私は一切傷は負いません。
そう考えると私のやっていることはただ被害者をいたずらに傷つけるだけのものでしかないことが分かります。

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』のなかに出てくるいくつかのフレーズが葉月蓮さんの事案と重なり、果たして私の悪ふざけのような文章で扱ってよいのか悩みます。
それは私の妻の件にしても同じです。
私は決して彼女たちの代弁者にはなれないし、なってはいけないタイプの人間です。
しかし語り口は人それぞれであっていいとも思います。
例えば、人は勝手な被害者像や弱者像をこしらえて、そこからはみ出す人を「被害者らしくない」「弱者のくせに生意気だ」などとバッシングしたりしますが、被害者の正しい振る舞いとはなんでしょうか。
弱々しく俯き、半べそをかきながら哀れっぽく小声で話し、笑顔一つ見せてはいけなくて、決して怒りを露わにしてはいけないとか、そんなことはありませんよね。
私は被害者ではありませんが、告発者として清廉潔白に行儀良く振る舞わねばならないのか、ちょっとのミスも許されずいちいち難癖をつけられなければならないのか、そんなことを考えてしまいます。

葉月蓮さんは2019年にTwitterアカウントで自ら声をあげましたが、案の定ゴー宣読者からのセカンドレイプを受けました。
「匿名のお前は黙っていろ」と匿名のアカウントから非難されていました。
これもまた『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』に描かれていたこととダブります。

7CC4EE2A-078A-46C6-B9E2-F9885E8A356C.jpg
4A52A8C3-6369-43B8-A15B-D551179D9F1A.jpg
B4F81973-5314-4B40-BED7-169CA0867958.jpg

葉月蓮さんの言葉を全面的に信用しろと私は言いません。ただ少しでもいいから耳を傾けてみようという姿勢ぐらい持っても良いのではないでしょうか。
「あの女はなんだか生意気だから気に入らねぇ。だからあいつの言い分に耳は貸さねぇ」というのならば、それでもいいですが、その自分の感想をわざわざ本人にぶつける必要はないのでは?
彼女がTwitterから離れた理由について私は知りませんが、誠実であろうとする彼女に対し、ゴー宣読者以外からも何の意図なのか、自分の鬱憤晴らしなのか、ひっかきまわす事を目的として一見議論する風を装った嫌がらせなどをいくつも受けたからかもしれません。

彼女自身の声がこのまま「なかった事」になるのがイボナメクジこと小林よしのりの望むことでしょう。
果たしてそれを許して良いのでしょうか。

5C3A4AD4-7068-4616-8DD4-6F4153AC5294.jpg

643B024C-DF26-4372-BD66-E7B281B82A43.jpg

性犯罪の訴訟における、あり得ないほど量刑の軽い(況んや無罪)判決がおりることに怒りを覚えるのは当然として、それ以前にある、訴訟に至らない事例の多さ、被害そのものを泣き寝入りさせることの背景にあるもの、そこにある問題の種に、私はもう黙らないことに決めた。
私にとって小林よしのりがどんな存在だったかと言えば、「社会」を考えるときの「参考書」のようなものだった。
是々非々でいたつもりだったが、道場の「門弟」というコミュニティは、是を称賛し、非を咎める同調圧力がものすごかった。染まらないで済むほどには、知識も自己肯定感も足りなかった。
いつの間にか、「参考書」が「教科書」になってしまっていた。
だからほら、「セクハラなんてこんな風にあしらえばいいのよ」なんてお手本のような受け答えをしている。我ながら、よくもこれほど卑下したものだと吐き気がしてくる。
バカだった自分を認めることと、何をされても許すべき存在であることは全く別だ。
「個人的なプライベートな問題だろう」
確かにそうだ。
だから不誠実な漫画家の仕打ちに甘んじていろと?
冗談ではない。少なくとも、作品の元ネタのひとつにはされたのだ。

年齢で仕方ないことなのか、単に相手次第のことなのか、男性の「機能」がままならないことに悩むのは、女の私でも想像は出来る。
まして、創作で食っているのなら尚更だろう。
そう理解するのは、小林にとっては好都合でしかなかったはずだ。
「このまま終わるのか? 試させてほしい」
今なら
「アイドル風のラブドールでも購入したらいかがですか?」
と答えるところだけど、例え最初から単なる「女体」であったのだとしても、その関係に誠実さは必要ではないのか?
なぜ私が今さらこんなツイートを始めたか問いますか?
「貴方は私の敬意を不誠実さでふみにじった」
だからですよ。

私に対してだけではない。
スタッフや泉美木蘭氏も含め、ネットの生放送やブログにおいて、発信力のない一般人について事実をねじまげて伝えたり、全くのデマを流したことも、こちらに泣き寝入りで隠しとおす義理はない。
これは貴方方が自ら招いた結果だ!(葉月蓮さん)

この記事へのコメント