性暴力被害軽視と女性蔑視
葉月蓮さんに関する過去記事を再構成してまとめています。
小林のブログによると、強制性交について勉強して論じていくとか。これはとてもいい傾向だと思います。
都合のいい時だけ、女性賛美。
彼らにとって賞賛されるべき女は、自分にとっての『都合のいい女』。
実社会でも、何度も見てきました。
その度量の小ささに本当反吐が出ます。
そしてそれを見抜けない女にも反吐が出ます。
決して伊藤詩織さんの為でもなければ、性暴力の被害者の為でもありません。
伊藤詩織さんを政治利用する団体https://washiblog.seesaa.net/article/472261725.html
《性暴力や性的嫌がらせを受けた被害者に向かって第三者が、性被害の苦痛を思い出させるような暴言をぶつけたり、被害を受けた原因が被害者サイドにもあったというような発言をしたりすることをセカンドレイプといいます。
ゴー宣道場の支持者及び支援者たちはセカンドレイプとは何かを理解しないままセカンドレイプを繰り返しております。
そのような連中にしか支持されないのがイボナメクジこと小林よしのりであります。
何故、イボこと小林の周りにそんな連中しか集まらないのかというと小林も同類であるからです。
それに気づいた読者は次々と離反してゆきました。
「門弟になったのは人生最大の黒歴史」と自覚している方から次のコメントをいただきました。
「小林は詩織さんの味方を気取って勇ましいこと言ってますが、単に裁判を有利にするためのアリバイ作るぞ宣言でしかないですね。
保身のために被害女性をまきこまないでほしいです。小林のブログによると、強制性交について勉強して論じていくとか。これはとてもいい傾向だと思います。
ただ、フェミニズムやジェンダーについて『正しい』知識がないと難しい問題だと思いますが、そもそも人権についての認識がおかしい方に可能なんでしょうか?とても心配です。」
イボこと小林のこれまでの主張から考えれば、「わしならばレイプドラッグなど使わず、力ずくで押し倒して抱いてしまうわい。それでもわしのベイダー将軍の虜になった相手はわしに惚れてしまうだろうから、強姦で訴えられることもないだろう。そもそも男と二人きりで食事をするということはそういうことを期待していると思われても仕方がないではないか!」という意見しか出てこない筈です。
男尊女卑が脳髄にまで達しているイボこと小林が上辺だけでそれらしいことを語ったとしても、女性軽視の本心は隠しきれず、すぐにボロが出ることは間違いないでしょう。
そもそもイボナメクジこと小林よしのりは性欲と性暴力は同じものであり、切っても切り離せない男の業だと考えているようなのですが、そんな認識で果たしてこれから何を語る気でいるのでしょうか?
ただただ二次被害を拡大させてゆくだけなのではないでしょうか?》
ただただ二次被害を拡大させてゆくだけなのではないでしょうか?》
《イボナメクジこと小林よしのりが性暴力について語る資格はないのは明らかです。無論、「性暴力肯定論」ならば得意中の得意かもしれません。
ゴー宣道場の連中は自己都合のみで人の主張や活動にタダ乗りし、接近することを拒否られ、拒絶された途端に、それまで利用する為に賞賛してきたくせに、それがなかったかのように悪罵を投げつけます。
今は山口敬之に訴えられている事情から伊藤詩織さんにタダ乗りし、性暴力の被害者の理解者のような言動を繰り返していますが、しかしその被害者も自分にとって都合の良い主張をしてくれる被害者のみを持ち上げ、自分に対して批判的な被害者は完全に無視するか、足蹴にするのです。
自分たちにとっては関心がない、または不都合である被害者に対しては彼らは冷淡になり、あまつさえ攻撃さえ加えてくるのです。
小林自身は性犯罪や性暴力、セクシャルハラスメントについて内心では以前のまま認識を固定化させていますが、それでどのように伊藤詩織さんを援護するつもりなのでしょうか。
私は以前、次のように予想しました。
「イボこと小林は痴漢やセクハラ程度のことまでレイプ並みに大騒ぎするせいで、重大な性犯罪まで軽く扱われるようになっているのだとかいうミソジニストがよく口にすることを得意げに語り、つまりレイプが不起訴になるのはヒステリックなフェミニストのせいであると結論づけるつもりかもしれない」
その予想は見事的中し、小林はその主張を連載マンガのなかで描きました。》
《イボナメクジこと小林よしのりの読者たちは小林のミソジニーに共感し、共鳴しています。
反ワクチンサイト管理人はその実態を語るのにちょうど良いサンプルなので、ここに紹介しておきましょう。
反ワクチンサイト(世界のゴー宣ファンサイト)管理人は過去に「女性が世帯主になる事には嫌悪感がある」という名言を繰り出したり、「女性は断じて神聖なる土俵に上げてはならない」と鼻息を荒くし、絵本作家のぶみが作詞した名曲『あたしおかあさんだから』に感動し、その歌詞の内容を批判している女性陣に対する怒りをメーリングリストで表明するほど男気溢れる噂の男前です。(もちろん皮肉)
絵本作家のぶみの主張がいかに禍々しいものであるかを或る女性門弟から説明を受けた時も反ワクチンサイト管理人はまったく理解出来ずにポカンとしている有り様で、わざわざ説明した女性は呆れてしまったといいます。
その時はのぶみの絵本の是非については有耶無耶になったまま話が終わってしまったのですが、それからしばらく経った頃、反ワクチンサイト管理人が唐突にそのことを蒸し返し、「絵本作家のぶみさんの作品で感動している人だって世の中にはいるんですよ! あなたはその人たちの感動した心を否定するのですか!? それは余りにも不寛容です。私はもっと寛容であるべきだと思います。私は寛容な社会を望みます!」と激昂した調子の投稿をしてきました。
「寛容であるべき」と言えば、相手はぐうの音も出ないと思っているのでしょうか?
「寛容であるべき」は水戸黄門の印籠みたいなものだと思っているのでしょうか?
世の中には決して寛容になっていけないものがあります。その最たるものが謂れなき差別でしょう。
それについて反ワクチンサイト管理人は「女性差別に関してのみ寛容であれ」と言う気がします。
何故なら彼は過去に「女性が世帯主であることに嫌悪感がある」と投稿していたからです。
その投稿に対して疑義を呈すると、彼は逆ギレし、自分に女性差別者というレッテルを貼るとは何事だと騒ぎ出し、手がつけられない状態になったことがあります。
何故、女性が世帯主であってはいけないのか。その理由について冷静に理論立てて説明してみせれば良いのにそれをせずに、自分の「お気持ち」を侵害されたことにただ激怒し、不寛容だと言って半泣きになって拗ねるのです。
そのような価値観に染まっているのは何も男性読者だけではありません。今残っている女性読者のほとんどが反ワクチンサイト管理人の「お気持ち」を汲み取れるタイプであります。
それこそデヴィ夫人や杉田水脈や林真理子や曽野綾子や三浦瑠麗や半井小絵や櫻井よしこや吉木誉絵や笹幸恵といった人たちと同じ思考回路をしていなければ小林を支持し続けるのは難しいでしょう。
元門下生であった女性は次のように証言します。
「『女性の力はすごい』『女性を敬え』
平時からこういう事を声高に宣う男に限って、その女にやり込められた瞬間、『ムキー!女のくせに生意気な!!!』ってなるのは一体何なのでしょうねえ。都合のいい時だけ、女性賛美。
彼らにとって賞賛されるべき女は、自分にとっての『都合のいい女』。
実社会でも、何度も見てきました。
その度量の小ささに本当反吐が出ます。
そしてそれを見抜けない女にも反吐が出ます。
もうゴー宣道場にいる女性信徒たちなど、私にとっては軽蔑の対象でしかありません。
しかし反ワクチンサイト管理人のような男に限って、己の中の女性蔑視感に無自覚な野郎が多い事。
だから『お前、それ女性蔑視だろ』と突き付けても、『そんな事ない!』と否定する。自戒も込めて書きますが、無自覚は罪です。」
ゴー宣道場に参加していること、それだけでも大きな罪に加担しているといって良いでしょう。》
《イボナメクジこと小林よしのりは伊藤詩織さんの勇気ある告発を称えるテイで、伊藤詩織さんを自分の弾除けの盾にしています。
自省するというのならば、まずは冒頭で「わしはこれまで何度となく山口と同じ過ちを犯してきた」と言うべきであり、自分の支配欲の捌け口にしてきた女性に対してまずは謝罪しなければならないのではないでしょうか?
それもないままに、性犯罪被害者の味方ぶるのですから閉口します。
イボナメクジこと小林よしのりは元支持者である女性に対し、岡田斗司夫や広河隆一がしたようなことをやっていながら、何故に平然と伊藤詩織さんの側に立って山口敬之を非難出来るのでしょうか。
被害者である女性の声を黙殺さえしておけば無かったことに出来ると判断したのでしょう。なにしろイボナメクジこと小林よしのりは以前にブログに以下のようなことを書いています。
「被害者の存在が不明のままで、特定の男を加害者認定して、罰を与えるなんて、あり得ない話だ。伊藤詩織さんを見よ!セクハラどころかレイプの被害者として名乗り出て、戦っている!だからわしは伊藤さんの主張を全面的に信じるのだ。」
匿名の被害者と伊藤詩織さんを分断することで、葉月蓮さん(仮名)の訴えを虚偽の告発であると自分の支持者に思い込ませようとしているのです。
伊藤詩織さんはレイプされても実名公表したのだから、被害を訴える以上は名を名乗れと主張する小林よしのり。
断言しますが、イボナメクジこと小林よしのりが山口敬之を批判した理由は安倍元首相叩きに使えるからというこの一点のみです。決して伊藤詩織さんの為でもなければ、性暴力の被害者の為でもありません。
これまでのイボナメクジこと小林よしのりの発言から考えれば、本来ならば山口敬之を擁護し、伊藤詩織さんを批判しなければならない筈です。
・男と二人きりでディナーを共にするということは口説かれるのは当然で、むしろ口説かない方が女に対して失礼である。
・男と二人きりで酒を飲むということは抱かれることを覚悟すべきである。
・山口にしてみれば、勧められるまま酒を飲むということは、シラフでは躊躇してしまう自分のタガを外そうとしているに違いないと判断するのは当たり前で、酔った勢いで抱いてやるのが男の優しさである。
・行為に及ぶ前にいちいち同意を求めるのは野暮である。
・最初は嫌がっていても、いざ抱かれたら抵抗しなくなるなんてな事はよくあることで、本気でイヤなら金玉を握り潰せばいいだろう。
それをしないで、あとから被害者ぶるのは許せん。
・薬を使って意識を失わせたなんて証拠はどこにある? 確たる証拠もない一方的な証言などは信じるに値しない。
それは実名告発した韓国人慰安婦の証言など信用出来ないのと同じである。
・伊藤詩織の言っていることは単なるモテ自慢に過ぎない。そんなモテ話など自立した女にとっては面白おかしく語れる話なのだ。
上に挙げたことをイボナメクジこと小林よしのりはいつもの調子で主張すべきであり、葉月蓮さんや私の妻についてダンマリを決め込んでおきながら、よくもまあ性暴力被害者の味方ぶれるものです。まさに厚顔無恥とはこのことですね。》
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