概念と固定観念の違いがわからぬゴー宣思考
ご無沙汰しております。

2週間ぶりのブログ更新となります。
まさか、このままイボナメクジ関連のブログからフェイドアウトしてゆくつもりなのかと思われる方もいるでしょうが、そもそも私はイボナメクジの描くものに関心を無くして読むのをやめた元読者であります。
彼の描くマンガについては、それこそ戦争論のあたりからマンガ作品としては面白みのないものだと思っており、社会的な問題の提示の仕方や論考を追う形で読んでいるのが半分、惰性半分で読み続けていましたが、ネットの可視化により氏を支持する大半の愛読者(ファン)の質の悪さを目の当たりにし、ふと立ち止まり、改めてイボナメクジの論理の立て方や語り口など俯瞰すると何ともいたたまれない気持ちになりました。
この違和感は何だろうと思った私は、ただ惰性で氏のマンガや記事を読むのではなく、論敵とされる相手の書いたものと照らし合わせ検証しながら読むようにしました。(本来ならばそれをするのは当たり前の作業であり、それを怠っていたのは私の不徳の致すところであります。)
するとイボナメクジの論理とやらにはさまざまなほころびがあることに気づき、それに気づくと今まで妙に感じていた部分や読んでいて躓く箇所など、見ないふりして流していた首の傾げるような表現や理屈について目を向けるようになりました。
そしてその部分こそが氏の本質であれば、これまで感じていた違和感すべてが合点がいくものとなり、つまりはネット上に可視化された氏の読者の質こそが氏の人間性や思想性を表しているのだと納得しました。
それを理解してなおイボナメクジ氏の描くものを読み続ける意味はないでしょう。
だから私はイボナメクジ関連の書籍に金を落とすことはやめ、氏のブロマガ(ライジング)のコメント欄に感想文や応援メッセージなど投稿するのもやめました。
その時に別に読者をやめる宣言などするわけでもなく、読むのをやめる理由などをコメント欄にわざわざ投稿するわけもなく、ファンコミュニティからゆっくりと距離を置き、黙って去ったわけです。
それからしばらくして、長らくイボナメクジの読者であった自分について見つめ直す意味でAmebaブログにて当時の自分の心境やそれに付随するあれやこれやを日誌のような形で更新しました。
このアメブロは私の知人数人が閲覧する程度の個人ブログに過ぎませんし、明確なイボナメクジ批判というものでもありませんし、そもそも他人に読んでもらうことを企図しておらず、自分だけが理解出来れば良い書き方をしているので、一読したところで何のことを書いているのか分からない文章に仕上がっています。
久しぶりにアメブロを確認したところ、2017年12月10日からブログテーマ「ツァラトゥストラはかく語りき(雑感)」として、イボ道場で体験したことなどを振り返っています。
しかし、そこではイボナメクジの実名(小林よしのり)を挙げることもなければ、団体名(ゴー宣道場)を挙げることもなく、「とあるカルトの禁書目録」てな感じで、あくまで名を伏せた上で、自分の過去を回顧しているだけです。
ライジングコメント欄に投稿した、今読むと身悶えるような感想文などを振り返り内省したわけです。
自らの黒歴史を曝け出す羞恥プレイです。
それを知人に見せて失敗談として語るスタイル。
そうして、イボナメクジのマンガなどを読むのをやめて数年経ったある日、イボナメクジがネットの生放送で私の妻に関するデマを流して中傷していたという情報が届きました。
これを聞いた時、私はまったく信じずに「そんなわけがあるかよ」と半笑いを浮かべました。
著名なマンガ家が名もなき一般人に過ぎない元道場参加者についてデマを吹聴して名誉毀損するなんて、そんなことを信じる奴はいないでしょう。
そんな呑気な私にこれでもかという勢いで事実確認をした上で判断せよと言わんばかりの情報の洪水。
また、当時の現役門弟からの連絡もあり、実際にどのような放送だったのか確認しなければ何とも反応しようがないので、わざわざ課金して観ることにしました。
その結果についてはこれまでブログに取り上げてきた通りであります。
私はいわゆる「アンチ」と呼ばれるような活動などしていませんでした。
強いて言うならば、個人ブログに自分の過去の恥を晒して知人に笑ってもらおうとして黒歴史を披露していたぐらいのものです。
そこでは「小林よしのり」や「ゴー宣道場」というワードは一切出していませんでしたので、こちらの動向を逐一監視でもしていない限り、イボサイドが把握出来るものではありません。
なのに、イボナメクジは私たち夫婦をアンチ認定し、デマを流して中傷したのです。
それを受けた始めたのが、この道場検証ブログです。
つまり何が言いたいのかと言いますと、そもそも既に関心がないマンガ家もどきの人間もどきイボナメクジの挙動を追いかけ続ける気はないのです。
たまに暇つぶしで観察することはあるかもしれませんが、正直な話、イボナメクジは同じところをグルグル回っているだけなので、ツッコミを入れるパターンにも限界はあります。
コロナに関しても皇統に関しても、バターになる勢いで同じところをぐるぐる回っているだけ。
自分とは反対の意見の人でも、その相手が勉強を重ねているのならば、その発言は傾聴するに値しますし、議論をすることで自分自身をブラッシュアップしてゆくことになります。
しかし何の学習もせず同じ事を繰り返しさえずっているようなご老人と話をしたところで何の実りもありません。
頑迷固陋なご老人は一度そうだと思い込んだことをさも真理のように語り、それを変えようとはしません。そしてそんなご老人に限って、自分は柔軟な思考の持ち主であると自己評価しているものです。
たとえば、男性中高年向け慰撫雑誌Flashにて、先ごろイボが発表したLGBTに関する見解マンガは周回遅れどころではないモロ昭和脳の見るも無残な内容でしたが、それについてイボアシのドロヘドロは次のように絶賛しています。
《それにしても、これほどまでに変化することを恐れない、そして実際変化してしまえる、しかも変化の経緯を自ら公開できる人って他にいるでしょうか? これを見てしまったら、頑迷固陋に変化できない人、特に「謝ったら死ぬ病」の人なんか、カッコ悪くてたまらないものにしか見えません!》
読者層が同類の昭和脳のご老人である為にプチ炎上さえしない、ボヤさえ起きない無残なLGBTへの見解を示したイボナメクジ。
その見解をさも最新の知見のように紹介する厚顔無恥ぶり。
そのほんのさわりの部分を見てみましょう。
カルーセル麻紀をゲイと呼んでいる時点でお察しです。
これは明らかにLGBTについて下調べすることもなければ、当事者の声に耳を傾けるでもなく、昭和脳の感覚のままで飲み屋でクダをまくように適当なことを放言しているだけです。
知らないことや無関心なことにわざわざ口を挟む必要はないのに、いちいちニヤケ面をしてちょっかいをかけてからかうことを商売にしているのですから何とも卑しい人間です。
そういや、沖縄の基地問題についてまったく関心もないのに、わざわざ沖縄まで行って冷笑をしてみせていた奴もいましたが、あれと同類ですね。

「座り込み」の定義に議論集中 辺野古新基地への抗議活動 ひろゆきさんが持論展開、出演者が反論も ネット番組https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1596729.html
その事案について勉強をするほどの関心がないのならばイッチョ噛みなどせずにスルーすりゃいいものですが、いちいち揶揄してマウントを取って論破芸を披露するのを商売としてきたために、それが習い性となっているのでしょう。
ひろゆきにしろ、イボナメクジにしろ、実に卑しい連中です。
そんなクズの発言を逐一拾い上げるのは馬鹿馬鹿しいからとブログの更新が停滞するのも仕方がないでしょう?
LGBTに関する知識は私自身もまだまだ足りていないのですが、イボの酷すぎるマンガについて更に掘り下げる必要はあるでしょうか?
もし時間に余裕があれば次回ちょっとだけ取り上げてみたいと思います。
※一応、説明するまでもないとは思いますが、ゲイとは性自認が男性で性的志向が男性に向いている人のことであり、MtFとは違います。
この記事へのコメント
世間のとんと関心の薄くなった問題が今回の件で
前進するかはともかく、現状を広く認識させたのはよかった。
その点は評価すべきと思いますが。