健康で文化的な最低限度の生活
今更、イボナメクジに常識を求めても仕方ありませんし、一般人の生活実感など理解することも出来ないのでしょう。
しかし、以前ならば、あまりに生活者の実感からかけ離れた物言いをイボナメクジがしていたら、道場メーリングリストで異議申し立てをする人が複数名おりました。
しかし、どうやら今は誰もが口をつぐみ、イボの頓珍漢な経済論にこうべを垂れているようです。
《大衆は、「カネを回す」よりも、「貯蓄」に関心があって、コロナ給付金もほとんど消費に回さず、コロナ貯蓄は50兆円に膨張した。》
イボナメクジはアホなので、「コロナ貯蓄」と聞いて、「なにぃ、どいつもこいつも給付金を貯蓄に回したのか!」と勘違いした模様です。
このまるっきりのアホにつける薬はないようです。
イボは経済についてまったく理解していないクセに何故か分かっているふりをしようと必死です。
それは昔からそうで、分からないなら分からないと正直に言えば良いのに、無意味に経済用語を散りばめた無内容の不条理風マンガを描いて、「実は深い意味があるんよね。わかる奴はわかるから読み解いてみ?」みたいなことを言って無駄な考察を誘っていました。
それを信じた読者がありもしない深読みをしてくれたら、それを採用して、「わしはここまで経済に関して深く思想していたのだ!」と言うつもりだったのでしょう。
意味も入っていなければ、シュールとしてもクソ面白くない無駄ゴマの消費…
経済に詳しい奴はおそらく失笑しかせず、無駄な解読など誰もしなかったと見え、このマンガについて以後言及することはありませんでした。
《買いたいものがないんだろう。生活必需品は100円ショップでほとんど手に入る。》
必死の思いで生活している人や経営している人のことなどまったく見えていないのでしょう。
給付金は別に買いたいものを買うために受け取っているのではありません。
生活や経営のために使っているのです。
《生活はスマホがあれば、ほとんど充たされていて、「将来不安」だけが残るので、カネはほとんど貯蓄に回る。》
生活はスマホだけあっても維持できるわけがありません。
「スマホで生活を充される」とはどういうことでしょうか?
あまりに馬鹿な理屈すぎて言葉を失います。
スマートフォンは確かに便利な道具であり、娯楽や情報や得ることが出来ますし、各種決済なども一括管理出来ますが、それだけで生活を維持することは出来ません。
それこそ「先立つもの」がなければ、生活を充すことなど出来ません。
だから、国民の関心事は「経済対策」であり、そんなことは当たり前でしょう。
衣食足りて礼節を知るじゃありませんが、生きてゆく為の最低限の環境が整っていなければ、他のことを考える余裕などあるわけがないでしょう。
国民の関心事が「経済対策」であるというのは、決して国民の意識が低いわけではなく、そんな状況に追い込まれている悲劇であると受け止めるべきでしょう。
誰だってカネの心配で頭が一杯なんて状況が楽しいわけがないでしょう。
「生活必需品は100円ショップでほとんど手に入る」というイボの並外れた馬鹿発言について、道場メーリングリストで誰もツッコミを入れないことの不幸をイボは知るべきですね。
テレビのワイドショーの箸休め的なワンコーナーで百均特集をやっているのを口の端から涎を垂らしながら観ていて、「なんや、100円ショップがあれば何でも揃うやないか」とでも思い込んだのでしょうが、ダイソーだけで生活している奴などほぼいやしないと何故誰も指摘してあげなかったのでしょうか。
イボの果てしない馬鹿っぷりが世間に垂れ流しになっているのに、道場門下生たちは平気なのですか?
《消費税ゼロになったら、税金を払わない国民が膨大に増えるだけで、憲法の「納税の義務」を果たしていない国民が出て来るだけだ。たとえ貧乏人でも、カップラーメン1個買えば、消費税を払っているから、「国民として平等」になるという思想の方が、わしは上等だと思うがな。》
このあたりのイボの「上等な思想」とやらは堀江貴文や西村博之あたりの「ぶっちゃけ言論」と同類です。
一体、どこの「貧乏人」が納税の義務を果たしていないというのでしょうか。
おそらく私は貧乏人の部類に入るでしょうが、毎月のお給金から自動的に所得税や住民税が差し引かれています。まあ、大体の貧乏人はそうなのではないでしょうか。
つまりイボは税金を払えない環境にある人が納税の義務を果たしていないことにイラついているわけです。
もうお察しですね。
要は「ナマポとコジキにも平等に税金を徴収することが出来る消費税というシステム最高! 汚物は消毒だー! ヒャッハー!」と言っているわけです。
屑オブ屑、それがイボナメクジ。
この記事へのコメント
https://note.com/yoshirin_k/n/n386e7cccff77
新自由主義的な成果主義を批判していたことがある小林よしのりからすれば、最近の若者が年功序列を望んでいることは評価しても良さそうなはずです。
しかし、小林は若者が成果主義よりも年功序列を望んでいることに対しては、「また若者がムシのいいこと言いやがって」と不満を漏らしているようです。
小林の不満の根源にあるのは、わしや昔の日本人は過労に次ぐ過労だったのに最近の若者は甘えやがって、という怨嗟の気持ちです。
若いころのわしは漫画家として徹夜の連続だった、高度成長からバブル期のサラリーマンは企業戦士としてバリバリ働くのが当たり前だった、と小林は過去の例を持ち出しています。
小林の論法は、漫画家としての自分の経験や過去の日本の事例からブラック労働を肯定しているだけです。彼には労働者の待遇の改善という発想がありません。
自分の過去の過労の経験からブラック労働を正当化する小林の発想は、ワタミ創業者の渡邉美樹とも似ています。あの渡邉美樹だって、若いころは佐川急便のドライバーとして過労に次ぐ過労に耐えていましたからね。
戦時中の統制経済がそのまま官僚主導のシステムとなり、企業戦士の過労に次ぐ過労を肯定していたのが戦後の経済体制です。戦後の日本経済は戦時経済の延長だった影響で、非効率的なシステムとなりました。
軍隊的なやり方の戦後の日本経済システムも、一部の強者が大多数の弱者を搾取する新自由主義の経済システムも、末端の労働者を使い潰すことを認めた上で成り立っているから問題なのですよ。
かつての小林が成果主義を望む若者を批判していたのは、新自由主義批判という立場から主張に説得力がありました。しかし、今の小林が年功序列を望む若者を批判しているのは、最近の若者に対する怨嗟の気持ちが動機なので主張に説得力がありません。
小林はすっかり老害化してしまった上に、論理の組み立て方や言説の質が劣化してしまいましたね。
親米保守でジャパン・アズ・ナンバーワン的な主張を行い、中国崩壊論を唱えている長谷川の主張は、『月刊WiLL』を購読している右派的な読者とは相性が良かったのでしょう。
『月刊WiLL』で「本家ゴーマニズム宣言」を連載していたころの小林よしのりは、経済評論家の長谷川慶太郎と会ったことがあります。本家ゴー宣の欄外で、小林が長谷川の博識ぶりを褒めていたのを見て私は呆れました。
「おいおい、小林は長谷川慶太郎がどういう奴だったか知らないのか」
長谷川慶太郎は80年代から90年代初頭のころは、経済評論家としてメディアの寵児のような扱いの人でした。バブル期のころの長谷川は財テクを推進する言説を熱心に唱え、「財テクをしない人は世捨て人だ」とまで言い切りました。
長谷川の言説を信じたせいで、バブル崩壊後に大損をしたり破産や自殺に追い込まれた人は多いでしょう。彼は、邱永漢とともにバブル戦犯の言論人として有名な人なのです。
バブル期に長谷川がどういう言論活動をしていたのかを知っていれば、小林は彼を評価することはなかったはずです。無理もありません。長谷川が経済評論家として絶頂期だったバブル期のころは、小林は机に向かって漫画ばかり描いていましたからね。
しかも、長谷川は親米保守で新自由主義者であるため、反米保守で新自由主義に批判的だった小林とは考え方が異なっていることぐらい分かるはずです。
小林は経済音痴だから、長谷川慶太郎がどういう人間かさえ知らずに評価していたのでしょうね。それだけではなく、自分をチヤホヤしてくれる人ならどんな人間にでもなびくという小林の悪癖は相変わらずでした。