天誅は下るべきなのである
かつての呪詛が成就したドロヘドロは今何を思うのでしょうか。
《安倍晋三、とことん世の中をナメ切っています!
必ず天罰が下るでしょう。》
《安倍夫妻にも天罰が下ることを願ってやみません。》
イボナメクジとドロヘドロは、「天罰」から更に踏み込んで「天誅」まで呼びかける始末でした。
《よしりん先生から警告です!!
不敬だ政治利用だとあまりに安易に言い募る者たちにこそ、天誅は下るべきなのである。》
《何より最大の争点は、なぜ山口への逮捕状が握り潰され、刑事事件にされなかったのかである!
その最大の悪に天誅が下される日まで、戦いはこれからだ!》
(※ここでの「最大の悪」とは安倍晋三を指しているのは明らか)
言葉が軽い馬鹿ほど強い言葉でイキるもので、普段勇ましく吠える奴ほどいざ事が起こるとヘタレるものです。
イボ道場は「戦うゴー宣道場」などと称して、行動することを呼びかけるようになったのは記憶に新しいでしょう。
「天誅」という強い言葉で煽り、行動を呼びかけた先にどのような悲劇が待ち受けているのか、ちょっと考えれば分かりそうなものです。
運動を呼びかけることの危険性はそこにあり、だからこそ「議論はすれど運動化はしない」という自制心が必要なのです。
社会に注目されたい。あわよくば影響力を持ちたいという醜い私欲の誘惑に勝てずに、殉教徒へ行動するよう呼びかけたイボナメクジでしたが、自意識過剰な上に極度の臆病でもあるので、また勝手にビビったブログをあげていました。
《忙しすぎて詳しく書けないが、政治家に近づいて直訴するのは止めた方がいい。》
この数時間前には信者が行動することを称賛し、更なる活動を称揚していたのに、あっさりとヘタレる腰抜けイボナメクジ。
そんな態度だから世間から「ナショナル勃起不全」などと揶揄されるのです。
《しかし公論サポーターたちの行動力は凄いな。ここまで実行力のある者たちが多いとは思わなかった。》
ちなみにイボ界隈は自分たちが他者へ向けて、「天誅」などという穏やかではない脅迫を繰り返しておきながら、いざ自分たちが同じ言葉を受けると被害者意識を肥大させるクズっぷりを発揮させます。
《「國民新聞」という、右翼方面に読まれている機関紙があります。
その4月25日付に、月刊誌「正論」「WiLL」にも寄稿している深澤成壽という評論家が『旧宮家ご子孫の方々へ宿命のご自覚を願ひ上げ奉る』という論説を発表しています。》
《これは明らかに、「國民新聞」を読んでいる右翼方面の人に対して「小林よしのりに天誅を下せ!」と煽っているようにしか読めません。》
《これは、いよいよ警察沙汰か!?》
《小林よしのり個人に対して「殺意に近い憤怒」を表明し、「孰れ天誅が下るだらう」と記すのは、右翼陣営に「殺人教唆」をしているに等しい行為といえます。》
《深澤がよしりん先生を「礼節を知らぬ馬鹿」呼ばわりし、さらに4月25日号、ついに「殺人教唆」にまで至ったわけです。》
《深澤は、よしりん先生に対して「礼節を知らぬ馬鹿を黙らせる術はない。よしのりはその馬鹿さ加減を曝し続ければよい」と、あらん限りの悪罵を投げつけています。》
《「『商売として』罵詈雑言の限りを尽くしてゐる」「漫画家小林よしのりなる下賤の者」には、「孰れ天誅が下るだらう」というのです。はい、狂ってます。》
このパターンは佐藤優と対立した時と同じです。
あの時も強い違和感を覚えたものです。
(佐藤優との件についてはまた別の機会に触れたいと思います。)
イボ界隈の言葉の軽さや卑劣さ薄汚さについては動画でも紹介していますので、差し支えなければ、そちらも併せてご覧ください。
行動を呼びかけた後始末をどうつけるつもりなのか、果たして…
行動するカルトについて、町山智浩と水道橋博士が良いサンプルを例に出して話している動画がありましたので、そちらのリンクも貼っておきましょう。
町山と博士、この二人の評価はとりあえず置いておいて、この動画について一言もないイボとヘドロの心中お察しします。


この記事へのコメント
「山上徹也の起こした事件は決して正当化されることではない」(同著、304ページ)
と言っています。鈴木エイトは、小林よしのりと違ってテロに対しては批判的です。
一方で、鈴木エイトは安倍元首相事件に対しては、
「安倍が暗殺されるに至った事件の背景には、政治家がカルト被害者のさらに背後にいる被害者、カルト被害者の家族――特に子供の被害実態を見ておらず、軽視および放置していたことも要因の一つだ。本来は政治家はそのような社会的弱者に目を向けるべきである。にもかかわらず、選挙に勝つことや、保身に走り『使わなくては損』とばかりに安易に教団やそのフロント組織と関係を持ち、そのような反社会的団体を積極的に受け入れ、バーター取引をしてきた政治家たちの道義的責任は限りなく思い」(『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』小学館、304ページ)
「山上徹也による安倍晋三元首相暗殺は『カルトの被害者が起こした重大な社会事件』である」(同著、305ページ)
という分析をしています。
統一教会の被害者であった山上徹也が起こした一連のテロ事件により、安倍晋三元首相をはじめとした統一教会と政界の癒着が問題視されるようになりました。
しかし、テロ自体を賛美することは危険です。本来なら安倍晋三が生きていたころに、メディアやジャーナリズムが動いたり、国会での野党議員たちが動いたりして、統一教会と政界の癒着の追及が行われるべきでした。
日本がまっとうな近代国家であるならば、統一教会と癒着している安倍晋三は、彼が生きているうちにジャーナリズムや国会での追及によって倒されるべきだったです。
安倍晋三が生きていたころは、彼の絶大な権力の影響もあって、統一教会と政界の癒着に対する本格的な追及は行われていませんでした。それどころか右派陣営の人たちや宗教右翼人脈は、安倍がやることなら何でも賞賛していました。
2010年代以降は反安倍となった小林よしのりでさえ、右派文化人だったころは宗教右翼や統一教会の別働隊であり、歴史教科書運動のころは安倍と共闘していました。
安倍が死んだことによって、メディアやジャーナリズム、国会の野党勢力はようやく統一教会と政界の癒着に本格的に動き出すことができました。しかし、だからと言って、山上徹也が起こしたテロ事件は決して正当化されるべきものではありません。
「テロで社会的な問題を解決するのはいいことだ」という論調が正当化されるのは、ジャーナリズムや民主主義の否定につながります。一連のテロ事件で安倍が死ぬまで、統一教会と政界の癒着が見て見ぬ振りされてきたのはジャーナリズムや民主主義の敗北でもあるのです。
「日本はジャーナリズムや民主主義がしっかり根付いていないから、権力とカルトの癒着に対する追及が不徹底であった。そのせいで、権力とカルトの癒着を解決するためにテロリストが凶行を起してしまった。結局、日本は21世紀になっても、ちゃんとした近代国家になっていなかった」
というのが一連のテロ事件の負の教訓です。
近代国家であるならば、社会的な問題はテロによって解決するのではなく、ジャーナリズムや民主主義によって追及されて改善される道を選ぶべきです。小林よしのりのようにテロを賛美する主張は危険なのです。
ちなみに、山上徹也は1980年生まれであり、彼が高校時代だったころに小林よしのりは右傾化しています。統一教会による霊感商法で家庭が崩壊したせいで山上は大学に行けなかったのに、彼が高校時代のころに小林は右傾化して宗教右翼や統一教会の別働隊となっていました。
右派文化人だったころの小林は、山上家を不幸にしたカルト教団に加担していたのです。
小林よしのりが安倍元首相暗殺事件を正当化しているのは、自分も安倍と同じく統一教会の別働隊であったという過去を隠すためです。統一教会の手先となったことがある小林には、統一教会の被害者であった山上に同情する資格などありません。