西部邁の保守精神はわしが継承する
イボ道場界隈では最近、故人である西部邁氏こそ「シンの保守派」として祭り上げ、その意志を継ぐのは我々であると嘯いています。
そこには何故か総合Pちぇぶも同席し、二人の会話に割って入り、藤井の話に対して「気持ち悪い」と言い放ち、藤井を激怒させたという。
小林はちぇぶに後で説教して泣かせたと笑い話にしていたが、これが事実であるならまるで笑えない。
《西部邁の表現者塾にて保守思想を学び、都内の医療法人と医療サイトをメインに記事を執筆しているという篁五郎なるフリーライター》
《この篁なる人のツイッターを覗いてみたら、ヘッダー画像に自分の写真ではなく、西部邁氏の写真を使ってたので驚いてしまいました。》
一体ドロヘドロは何を驚いているのでしょうか。
西部の私塾で学んだ者が尊敬する西部の写真をヘッダー画像にすることなど別におかしなことではないでしょう。
ドロヘドロだってヘッダー画像に自分の顔写真を使っていないのに何を言いがかりをつけているのでしょうか。
ヘドロのTwitterプロフを見て、「お前の別名は時浦上等兵ではなくドロヘドロ の間違いだろう!」とツッコミを入れたくなるのは当方ブログを読み込んでいる人皆の気持ちでしょう。
大体、ヘドロの妻などTwitterのアイコンを他人の顔写真にするという悪趣味な行為を繰り返しているではないですか!
赤の他人の医療ライターを皮肉るヒマがあったら、その前に自分のろくでもない妻の振る舞いを注意すべきでしょう。
さて、イボナメクジは西部邁の死後、それまで絶縁状態だった西部邁を担ぎ上げ、氏の遺志を継ぐのは自分だと言わんばかりの言動を取り始めました。
まさに死人に口なしです。
5月21日早朝に当方ブログでそのことを指摘するや、それに答える形でイボがブログで反応しました。
2022.5.21 09:38
《もう自称保守派には期待しない。わしが西部邁の保守精神を継承する!》
くだらない痴話喧嘩まがいのことで絶交(ぜっこーもん)したクセに、相手が亡くなった途端に真の理解者ぶるとはその浅ましさには吐き気を催します。
先日の鼎談については書籍化を目指して動いている為、イボナメクジは藤井聡ともう一人の奴に対して自ら批判することを避けています。
共著を出し、商売を済ませてから罵倒する算段なのでしょう。
いちいちセコイ野郎です。
《昨日の小林よしのりの生配信でのこと。
藤井聡と小林よしのりは鼎談イベントの後でレストランに行き、そこでも皇統について対話を続けたという。そこには何故か総合Pちぇぶも同席し、二人の会話に割って入り、藤井の話に対して「気持ち悪い」と言い放ち、藤井を激怒させたという。
小林はちぇぶに後で説教して泣かせたと笑い話にしていたが、これが事実であるならまるで笑えない。
あと、東海のSanjinは嫁から「もうゴー宣道場に行かないで」と懇願され設営隊を辞したらしい。》(トロイの木馬さん)
なかなか面白い情報が届きました。
イベント終了後、藤井氏との会食に総合P遅延ブーを同席させる異常行動をイボナメクジはとっていたというのです。
そして、イベント運営がゲストに招いた人に向かって「気持ち悪い」などと吐き捨てたというのですから驚きだよ。
さすがは常識が通用しないイカレポンチ集団なだけはあります。
たとえ意見が違う相手であるとしてもゲストとして招いた以上は礼儀を尽くさねばならないでしょう。
それは議論以前の話です。
藤井が果たして本当に激怒したのかも怪しいもので、なんだかよく分からないイボのツレの女が横からしゃしゃり出てきて軽口を叩いて来るので不快な顔をしただけだったのではないでしょうか。
それを見てイボは激怒したなどと大袈裟に吹聴しているのでしょう。
まさに烏滸の沙汰です。
共感性羞恥で身悶えします。
イボナメクジ研究所YouTubeチャンネル


この記事へのコメント
西部邁は原発推進の姿勢を打ち出し、「低線量被ばくは健康にいい」というホルミシス説さえも支持していました。西部といえば中曽根康弘の御用学者だった過去がありますが、中曽根は日本における原発導入に大きな役割を果たしています。
1955年に制定された原子力基本法では、中曽根は法案作成の中心メンバーの一人でした。日本における原発導入の父となったのは、正力松太郎と中曽根康弘の二人と言っても過言ではありません。
中曽根の御用学者だったことがある西部邁が原発を推進するのは当然と言えるでしょう。西部の言説は、リクルート事件の際に中曽根を擁護したことや、小泉首相と中曽根が権力闘争をしている時に反小泉を表明したりとか、常に中曽根の影が付きまとっているのですよ。
そういえば、西部邁は女性天皇を支持していましたが、中曽根康弘も女性天皇支持を唱えていましたね。
一方、小林よしのりは3.11当初は「チェルノブイリにならないという専門家の発言を支持する」と言い、放射能を怖がるなと言っていました。
実際は小林の見立てとは違い、福島第一原発事故はチェルノブイリ原発事故を超える最悪の原発事故となりました。「メルダウンにはならないだす」と3.11当初に発言した菊池誠・大阪大学教授に匹敵する予測の外しっぷりですね。
さらに、小林は3.11当初は原発推進でしたが、後に反原発となり『脱原発論』の執筆に至りました。まさに風見鶏です。しかし、小林の脱原発論は、「脱原発と核武装の両立の実現」を唱えたトンデモ論でした。
脱原発をしたかったら核武装は諦めなければいけませんし、核武装をしたかったら脱原発は諦めなければいけないのに、小林はそのことが分かっていませんでした。脱原発派の左派にも原発推進の右派にもいい顔をしたコウモリ論が、小林が唱える似非脱原発論だったのです。
ちなみに、2010年に小林はゴー宣道場を作りましたが、同道場には生長の家の信者が潜り込んで会員として活動するようになりました。
生長の家は谷口雅宣が教祖となってから右派からリベラルに政治路線を転向させ、女系天皇を支持するようになりました。小林も『新天皇論』で女系天皇支持を表明し、2010年代以降は思想的にややリベラルな方向へ向かいました。
一方、谷口雅宣が教祖となってからの生長の家は、エコロジー的な主張を唱えるようになりました。3.11後に生長の家が脱原発を表明したこともそうです。生長の家が脱原発を表明した時期と、小林が脱原発を表明した時期は見事なまでに連動しています。
つまり、西部邁による原発推進の表明は政治性で発言しているだけであり、小林よしのりによる脱原発の表明は組織票である新興宗教に配慮して発言しているだけでした。
結局、西部や小林は党派性でポジショントークをしているだけなので、しっかりした思想は持ち合わせていなかったのです。
属国日本を反共の防波堤として利用したかったアメリカと、親米反共を理念としていた右派陣営・宗教右翼勢力は利害関係で一致していました。
アメリカのポチとなった右派陣営や宗教右翼勢力のガス抜きのために利用されたのが、戦前回帰的な理念に基づく主張や歴史修正主義的な自民族中心主義史観の言説でした。
ただし、戦前回帰的な主張や歴史修正主義の言説を本気で信じたら、占領政策の否定や東京裁判史観の否定を通り越し、アメリカ主導の戦後の世界秩序の否定にさえなりかねません。
三島由紀夫を見れば分かりますが、日本型の右翼思想を本気で突き詰めると反米主義に行き着いてしまうのは必然です。しかし、アメリカの言いなりであった日本の右派陣営は、ガス抜きのためにナショナリズム的な言説を利用していました。
戦前回帰を目指す日本型の右翼思想を真面目に信じ込んでしまったのが、三島由紀夫でした。三島の仲間だった右派陣営の人たちはアメリカの手先であり、三島自身も生長の家と付き合いのある人でした。
しかし、三島は自分が信奉する理念を純粋に信じたせいで反米となり、あの有名な割腹自殺を起こすまでに至りました。死後の三島は、日本の右派陣営に神格化されて利用されることとなります。
一方、三島由紀夫の弟子を称していた石原慎太郎による反米言説は、ガス抜きの域を出ることはありませんでした。
『NOと言える日本』が出版されたのはバブルの絶頂期であり、石原の反米言説は時流を読んだポピュリズム的なものでした。東京都知事になってからの石原はアメリカ批判を控えるようになり、9.11以降の彼の主張は親米右派と変わらなくなりました。
石原慎太郎と同じく、西部邁による反米右派的な言説もガス抜きの域を出ることはありませんでした。
西部は中曽根康弘の御用学者だったことがあり、体制や既得権益の擁護者としての役割を果たしてきました。西部ら右派による言説の影響で右傾化した日本は、アメリカの属国化が進んだ状態の国となってしまいました。
反米保守を掲げる愛国的な思想家であったけど、一方では体制の擁護者でもあったという矛盾する立場だった西部は、晩年は良心の呵責に苦しんだのでしょうね。結局、彼は自分が信じる理念や良心に殉じることを選んだのでしょう。
西部の弟子である小林よしのりによる反米右派的な言説も、結局は大衆のガス抜きの域を出ることはありませんでした。
小林は、アメリカの手先であった右派陣営の言説の絵解き漫画を描き、宗教右翼を組織票にして人気者になれた人間です。小林による反米は西部の言説の受け売りであり、逆張りで唱えていたポピュリズム的な言説でしかなかったのです。
結局、戦後の反米右派の人たちが果たした役割はガス抜き役でしかなかったようです。一方、本物の反米右派だったけど純粋まっすぐ君だった三島由紀夫の末路は悲劇的でした。
西部邁、中島岳志の師弟対談 保守と右翼の間にある大きな違い
(AERA dot.)
https://dot.asahi.com/aera/2017042400072.html?page=1
西部邁先生との別れ(中島 岳志)
(週刊金曜日オンライン)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/02/23/news-12/
尊師の場合、西部邁を「利用しよう」とするだけです。
「理解しよう」とは思わないのです。
脱退させようとした代表の父親であり、
運動から「日常へ帰る」ことを説いた
脱正義論の精神の持ち主でしょう。
「もうゴー宣道場へ行かないで」
設営隊員の家族からこのような発言が
出て来るような団体・運動になった事の
意味を運営はよく考えた方がいい。
それにしても、代表は自分を介護してくれる
信者なしでは他の論客と意見を交す事も
できなくなったのかと愕然とします。
このような発言をしていたのですね。
私から言わせてもらうと、「脱原発論の時点で小林は終わった」と思っていました。
民主党(当時)は脱原発を発信しましたが、これにより各電力会社及び原発メーカーの支持を失いました。特に支持母体の一つだった「東電労組」の怒りたるや凄まじい物でしたが・・・
また、松本龍復興大臣(当時)の発言も酷いものでした。そんな記憶も薄れないうちに、民主党の応援しているとか正気か?と当時は思っていました。
商売というのであれば、当時保守系の言論人とは袂を分かつべきではなかったでしょうね・・・